サラリーマン経験って、あった方がいいのかどうか。
今日はちょっと昔話でもしますね。もう20年くらい前かな?
時はバブル直前。
僕は専門学校卒で、平成元年に札幌でサラリーマンになりました。IT系(そんな言葉はまだありませんでしたが)の会社は、名前を書ければ誰でも入れた時代、は言い過ぎかもしれないけど、仕事が溢れてたのは間違いない。
で、汎用機・COBOLとがっぷり四つで初めの3年くらいは、百貨店やら物流システムの仕事に携わり、バブルの到来と共にWindows系の仕事に鞍替えし、その後もトレンドの変化に合わせてあれこれ囓りつつ、転職も何度か経験しつつ、バブルの崩壊も目の当たりにし、そんなこんなのある日、仕事を辞めました。
まあ激務と人間関係に疲れて、もう二度とこの仕事には戻らんと決め、とはいえ家でボーッとしてるのは退屈だったので、すぐカナダに3か月旅行に行きまして。その話は長くなるからまた今度にして、で兎に角、カナダから帰ってきてから、フリーターを半年くらいやりました。前置きが長くなりましたが、その時の話を。
最初にやったのは日払いの仕事。
早朝、事務所に集まって、順番にランダムに仕事を与えられて現場に向かう、つうスタイルでした。全く勝手がわからぬまま初日、向かわさせられた先はとあるテナントビルの一室。床に貼っているビニールを剥がしてくれというので、ピイイーッと引っ張って、剥がして、そんなことを1、2時間も繰り返してるうち全部剥がし終わって、次は何を、と思ったら、これで終わり、と言われ、へ?と。新しいのを貼るのは業者の仕事なので、我々は剥がして終わりと。
一緒に同行したおっさんが「戻り五時くらいだから、それまでこの辺で煙草でも吸って時間つぶしてよう」というので、缶コーヒー買って、煙草吸って。当時自分は携帯電話とか持ってなかったので、まあ退屈な時間であったのだけど、やがて時間になり、事務所に戻り、ほい、と現金で一万二千円貰って「こんなんで日当一万二千円??クッソ楽じゃんwww」となり、勿論次の日も張り切って早起きしたわけです。
次の日はワゴン車に何人か詰め込まれて山奥へ。着いた先は建設中の体育館らしき建物。任された仕事は、グラスウールを天井裏に敷き詰める作業。ロール状のグラスウールが既に何本も、詰め込む手前あたりに用意されていたので、それを背負って、梯子登って屋根裏に運んで、広げて敷き詰める、その繰り返し。グラスウール自体は、結構な嵩があるけれど軽いので、上り下りで少々汗はかいたもののこれまた楽勝。ただその日は、山奥なので結構帰りが遅くなったのと、髪の毛や服に、細かいグラスウールが沢山刺さって、頭洗ってもなかなか落ちなくて苦労しました。あれを毎日やったら多分肺がダメになるんじゃないかと思う。あと帰りの車内で聞いた話で「この車、車検証切れてんだよ」って話を聞いて、うわ運転引き受けなくてよかったわ、、、と思ったのを覚えてる。まあとにかく、その日もそれで一万二千円。
三日目の朝、今日は何処かなーとワクワクしながら行ったのだけど、なかなか仕事が回ってこない。仕事の割り当てはそこの事務所の人が、お前、お前、、、みたいに指差しで割り振って行き、人数揃い次第現場へと向かうのだけども、その日はなかなか選ばれない。
殆ど人が出払った後に、ようやく回された先が、某引越センターのヘルプ。ヘルプ、というか、行ってみたら社員はひとりだけ、あとは経験者二人と未経験が自分を含めて三人くらい。これは死んだ。
養生しろ、とか言われても当時は、何のことかさっぱりわからんかったし、これ持ってけと全自動洗濯機とか持たされても持てないし。案外、茶箪笥とかはデカくても持てることに気がついたのはどうでもいい収穫であったが。
この引越が、そんなメンバー構成だから当たり前だが全く終わらず、その後夜の8時くらいに、別の現場を終えた社員がやって来るまで、酷い地獄を見た。その大手引越屋はいまだ健在だが、俺は頼まないです。俺みたいのが任されてるのかと思うと、とても怖くて頼めない。
その日を以て、日払いの仕事は止めました。
次は深夜のコンビニ。
これはもう単純に、昼より時給が高かったからに他ならない。おばちゃんと若造に囲まれ、自分もまだ若かった、とはいえ既に25、6で。自分のいたコンビニは直営店だったので、店長(社員)が大卒で、自分より若くて社会人二年目かそこいら。ほどなくアイスの発注担当を任され、「雪が降るとバニラアイスが売れる」なんてな話をヒントとして頂いたが、あとはその辺を頼りに、自分なりの分析でもって発注をこなした。まあ元SEであるし、その程度の分析は出来て当たり前、というか、逆に言えばその程度の分析だけども、たまたまか何か知らないが、売上げとか適正在庫率とか、なかなかいい感じだったようで、後日、レポートを書いて出してくれとか言われ、まあそれもサラリーマン時代は、打合せ前に散々やってきたことであるし、パッと作ってお渡ししました。店長はご機嫌であった。
その後、そのコンビニに客として、昔世話になった方が来店し「あれ!こんなとこで何やってんだよ!こんなことやってる暇あったら手伝ってよ」と誘われ、気がつくとまた元の仕事に戻っちゃって。そこからは何年かフリーで仕事をやっていたんですが、結婚前に元嫁の要望で、正社員になり、その後一度転職し、今は元嫁とも別れて独りだけど、会社勤めはそのままです。
今は至極真っ当にサラリーマンをやる傍ら、写真家を名乗って個展やったりしてます。写真が売れたら嬉しいけど、まああまりそれで食べていこうとは、思わないかな。何の縛りもなく、自分の好きに出来る世界があるのがいいなと。
最近、サラリーマンを経験せずにいきなり会社作りますとかブロガーとかどうなんだ、みたいな話題をたまに目にします。自分の場合は、会社勤めがあってよかったと思うのは、中小のソフトウェア会社で、1、2年の契約スパンで、色々な現場に常駐して、色々な業種に関わって来れたということで、それだけでも物凄く勉強になりました。それでもなお、上に書いた通り、会社勤めでない世界はまた、衝撃だった訳ですけど。つまり何をやろうがやるまいが、その世界の事以外は知る由もないわけで。
だから会社勤めでも、例えば事務職で、同じオフィスで同じ仕事をずっとやることが、いい経験になるかどうか考えると、自分には即答出来ない。経験でしか得られない事は沢山あるんだけど、やる気があるならば勉強で補えることも沢山あると思うし。
ひとつ間違いなく言えることは
若いうちはやりたいと思うことを好きにやったらいいと思う。ただし人生、だいたいのことは幾らでも取り返しがつくんだけれど、取り返しがつかない類のことってのが、間違いなくあるので、それだけ、それだけは気をつけましょう!って事かな。
それさえ気を付ければ、少なくとも自分のこの齢くらいまでは、生き残れると思うよ。先は知らん。
それではまた。
電車でなめられない男になる(第2回)
前回自分は、如何に自分が電車でなめられ易い体質であるかを書いた。
対策を講じる編に移る前に、東京の電車問題について思うことを、も少し書かせてちょ。
ポールダンサー問題
電車の座席の左端と右端、ドア付近に、天井から椅子を連結する2本のポール状のものがある。そこにしがみついて離れない人種がいる。自分はこの方々を、車内ポールダンサーと呼んでいる。
ドア脇のスペースに陣取る人というのは昔からいる。これはこれでどうかと思いつつも、昔からいるので仕方ないと諦めている。まあ小柄な人がそこに陣取る分には、さほど迷惑でもないし。
椅子の前には手すりが並び、だいたい椅子の人数と同じ人数が並ぶことになる。
車内ポールダンサーは、ドア脇の人の背後、手すりにつかまる人の横に位置し、手すりにしがみつく。
さてここで、皆さん。小中学校時代にやった図画工作の時間を思い出して頂きたい。木工細工、やりましたよね。木の角の部分、そのままだと痛いですよね。そこで、面取りという加工を施したことを思い出して頂けますでしょうか。
そう、人の触れるところ、角が立っているといろいろ厄介なので、人にやさしいものづくりの基本、角は落とすんです。
閑話休題。ポールダンサーの位置するところ、それは、人々が乗降する際に必ず通過するポイントなのですよ。必然彼らは面取り対象な訳です。平たく言うと、すっげえ邪魔。
その状況でも、テコでも動かないボールダンサーがどういう行動に出るか。8割のダンサーは、手すり側に食い込んで来ます。がん細胞よりも巧みに食い込んで来ます。結果、手すりにつかまっていたはずが、後ろに押し出される例を、何度も見てきました。
ここには人間の文化はない。まさに弱肉強食、獣の争い。
文化的、道徳的であることを是とする私としては、ホントに由由しき事態なんですわ。
恐らく異邦人。文化は通じない
最近はそういう目に遭う、もしくはそういう光景を見たときには、「ああ、この人は日本人ではないのだ。言葉も通じないし文化の理解も無理なのだ」と考えるようにしたら、少しやり過ごせるようになってきたのだけど、なんか悔しいんだよね。クヤシイ。9841。
まあ殺伐とした東京の電車事情についてはこれくらいとして、次回からは対策を講じていこう!永遠に続く!
電車でなめられない男になる(第1回)
電車でよくなめられる。
と言って、決して色っぽいマダムが次々寄ってきては首筋をペロリとする、ということではない。
自分は割と空間認知能力に長けた人間であり、朝の混雑する電車において、何処にどういう体勢でいれば、自分ならびに周りの人たちが快適に過ごせるか、ということを瞬時に判断し行動できる。
ところが、世の中には何が楽しいのか、なんて言うの?電車は殺伐としてなきゃいけません教信者みたいな人がいる。いる、っていうか、多い。割と。東京砂漠。
そういう人は、自分の躰をほんの30度くらい向きを変えれば皆が、辛いながらも平穏な朝を過ごせるところ、頑としてそれをせず、車窓と平行の姿勢を保ち、人間突っ張り棒の如く空間を確保する。周りは辛いが俺はピース、みたいな状況にカタルシスを感じる人種なのではないか。半ば真剣にその可能性を疑うのである。
二日前の朝もそうだった。
車両点検のため遅延した電車には、いつもよりほんの少し多めの人が乗車していた。 ドア付近は大分混み入ってきたので、いつもの如く、車両中程へ移動した。女子高生二人組、制服の感じか垢抜けない感じからか、いつも見ない感じの子たちに感じたのだが、そんな二人が手すりにつかまっている。そして反対側の手すりにもサラリーマンがつかまっている。その間には程よくスペースが空いている。
東京メトロ大江戸線であればそうはいかないが、JRであれば、皆がわきまえたポジションにいれば、三列は普通に収まる。自分は前後左右、誰にも迷惑をかけないであろうポジションで、スマホを見るでも本を読むでもなく、小さく俯いて立っていた。
そんな自分の背後に、突然意を決したように推定39歳のパタゴニアおっさんが割り込んできた。何故だろう、そういう事をする方はだいたいガタイがいい。ダイタイガタイガイイ。DGGE。このガタイガイイおっさんを含めての四列乗車は無理である。いきおい自分は、目の前の女子高生をぎゅうぎゅうに押す体勢になり、割り込んで来たおっさんといい関係を築きたいのだがおっさんはドゥテルデ並みの好戦的態度で、スマホを手にし突っ張り棒化を始めた。
女子高生二人組が振り返り、俺を一瞥する。そして二人は俺を、迷惑な奴ねえ、という具合にアイコンタクトする。
いや待って、違うんです、俺は悪くない。言いたいが何も言えず、絶望という名の電車は進み続ける。
そんな目に週4回は遭っている気がする。
さすがにこれはなんなんだろう、こういう目に遭いやすい人、遭いづらい人、いるとすれば俺は確実に前者。この体質を改善することは出来るのか。
そんな事を延々考えていたら夏の終わりからブログ記事がまとまらず書けないでいた訳です。いやホント。
さばい部をテーマとしている当ブログとして、この問題を何時までも放置する訳には行かないので、まず第1回ということで書いてみた次第である。次回に続くのである。多分恐らく。
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夏場はスースーしていたいよね。クールな石鹸たち。
ようやく東京も梅雨明けということですが、あちいね、今年は。
相変わらず、山を登ったり海に潜ったり、さばい部力向上の努力を惜しまぬ日々を過ごしておりますが、そんな日はさすがに帰ると汗だくで、さっぱりしたいよね、スースーしたいよね。
この時期、シーブリーズのボディソープあたり使いたくなるんだけど、以前も書いたとおり小生、石鹸派なのです。
液体のボディソープはなんというか、洗い流してもヌルヌルっとしてる気がして、それが少しく苦手なんすよね。石鹸の、洗い流した後のさっぱり感が好きなんです。
クールな固形石鹸というのはあるのか、探したことなかったな。というわけで探してみた、
スースーする石鹸。
これは今日、東急ハンズでゲットしてきた二種類。それぞれミント・ハッカ入りってことで、ひとつ試しに使ってみたんだけど、肌のスースー感はまあほどほど、としても、香りがですね、なかなかスペアミントで、いいよこれ。清涼感たっぷり。
肌のスースー感はほどほど、と今書きましたけれど、自分、敏感肌なのに鈍感という、よくわからないというか、むしろ中年らしいというか、ぶっちゃけ股間にシーブリーズかかっても何にも感じない程度に鈍感なので、まあスースー感には個人差があります、ということだけは補足させといて。
もっとないのか、スーパークールなやつは。
つうわけでAmazon探したよ。
自分が買ったのも載せとこう。
結構いろいろあるね!絶対、ボディソープよりさっぱりすると思うんだ-。次は私ももう一段クールなやつにチャレンジしてみたいと思います。皆さんもスースーした夏をお過ごしくださいな。
ではでは。
カップヌードル型チタンクッカー、山の日制定記念バージョン発売ですと。
山登りを始めて、まだ泊まりとか、外で何かを調理して食べて、というとこまでは行ってないのだけど、いざというときのために可愛らしいチタンクッカーの一つも持っていたいよねと思ってた矢先、これを発見。
カップヌードル型チタンクッカー 山の日制定記念バージョン
『「山の日」 制定記念 カップヌードル型チタンクッカー』 を7月20日(水)に新発売 | イーキャンパー キャンプをもっと楽しもう!
過去何度か(一度?)発売になってるみたいなのだけど、どこも品切れでAmazonでもプレミア価格みたいなんだよね。
本日7/20発売。オンライン通販サイトでは既にどこも売り切れてるみたいだし(7/11に発表されてたんだねー、一歩遅かった)、Amazonで見つけても多分またプレミア価格での出品になってそうなので、早めにアウトドアグッズ専門店等を探してみるのが吉かもです。
憧れのハンモック生活
自分が人より著しく、さばい部力に欠けるなあと感じる事の一つとして、アレルギー体質がある。これについては過去何度か記事にも書いた。
そして今年もまた、夏がやってきた。この季節辛いのは、虫たちが活発になることだ。
自分の場合、虫が怖いとか気色悪いとかはあまりない。今どきの若い子達と比べて、小さい時分にもっと、土と親しむ育ち方をしてきたからだと思う。従って問題はそこではなくて。
喰われると皮膚が過剰に反応する
これがホント辛い。その箇所がやけに赤らんだり腫れたり、人一倍めちゃ痒くなったり。それが腹立たしい。
なので、三連休最後の今日は、ダニ対策として、シーツやらタオルケットの類をまずコインランドリーにてジャブジャブ洗い、がっつり乾燥機にかける。
最近、コインランドリー業界はなかなかおいしい商売らしく、綺麗で大きい洗濯機・乾燥機が揃っていて、なかなか便利である。
で、コインランドリーにもこんな貼り紙があったのである。曰く、
天日干しはダニ対策にさほど効果がない。
敷き布団にスチームアイロンを当てるのが効果がある、と何処かで読んだので、実践してみたこともある。だが、上の貼り紙に即して考えて見ると、一体一カ所どれくらいアイロンを当ててたらいいのか、わからなくなる。
例えばアイロンを、一カ所に5分やらないといけないとして、布団面積×両面÷アイロンのサイズ×5分って、16時間くらいの大仕事になってしまうがな。といって中途半端に温めて終わっては、ダニ君達は却って喜んでしまうのではなかろうか。昨今、スーパー銭湯のサウナで流行のロウリュウにでも当たった気分になって、心も体もリフレッシュして、心機一転、思う存分俺の血を吸う羽目にはなるまいか。
そんなこんなでモヤモヤしている中、思いついた。
ハンモックって最高じゃね?
東京は高温多湿の街である。なのに住宅事情として、寝室だけは何故か諸外国の真似して、日当たりとか別に気にしてない。そして決して、部屋も広くはない。
そんなスペースにベッドを置くのは、非効率的かつ衛生上もあんまよくないのではなかろうか。
ハンモックだったらどうだろう。最近は折りたたみ式とか、たまーにホームセンターのような所で目にする。場所はとらない、接地面が少ない、風通しがよい、なんか想像するだけで、完璧な寝具にしか思えない。
そんなわけで少しく、ハンモックのことをちょっと調べてみたいと思った。絶対いいと思うんだよね!どうだろ?
いろいろあるね、ハンモック
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いいなー。次寝具を買うなら絶対これだな!
あ、ちなみにトップの写真は、私がハンモックに感じる開放感、爽やかな感じを手持ちの写真から表現してみました。まあこの山、虻やら蜂やら虫いっぱいだったんですけどね笑。
それではまた。
日本百名山の著者、深田久弥の数奇な人生
山登り始めるにあたっては、そりゃ色んなネットや書籍をあたりました。
山のガイドというか読み物としては、テレビ等で大きく取り上げられて、今も人気のこの本があります。
著者である深田久弥氏自身が、自ら登った山の中から「品格・歴史・個性」の三基準でもって選んだ百の名山、ということで、中高年ハイカーには、ここで選ばれた百名山をいくつ登ったかを競う「百名山ホルダー」が多数いるらしい。
その後、深田氏チョイスでないところでも『百名山』という言葉は、山岳界のバズワードとして、書店の登山コーナーを混乱のるつぼに陥れてるわけです。
そんな本を著した深田氏とは一体、どんな人なんだと調べたらまあ、波瀾万丈、悲喜交々、何ともドラマチックな人生だった。
淡い初恋
深田氏の初恋は高校時代(と言っても昔の事だから年齢は今の大学生くらい)、通学路で見かけるひとりの女の子に恋をして。でも結局声をかけぬうちに、関東大震災をきっかけとして彼女が引っ越してしまい、その恋は片思いで終わってしまった。
深田氏は趣味で山登りは続けながらも、仕事においては文筆家としての道を目指して、当時名だたる人たちと同人誌を興すなど、親好を深めていくんだけど、いい文章を書く、というところでは、イマイチパッとしない日々。
そのうち縁あって始めた、投稿小説の審査の仕事。ある日そこに送られてきた、青森の女流作家、北畠八穂の小説に、非凡な才能と強い魅力を感じて、現地まで会いに行ってしまう。
すると八穂さんがあろうことか、その初恋の人とそっくり。ところが八穂さんは、脊髄カリエスという難病で、ほぼ寝たきりの暮らし。
彼女の、初恋の人を思い出させる風貌、そして何よりその才能に心酔してしまった深田氏は、彼女の親の反対を押し切って、千葉へ連れてきてしまう。
蜜月のはじまり
彼女の小説は才気に溢れていたものの、読みやすさや前後のつながりなどにまだまだ粗い部分があったのを、深田氏が手直しして、なんと深田氏名義で発表してしまう。
盗作とかそういうことではなく、彼女としては、病気で閉塞した毎日を過ごしていたのを連れ出してもらったという想いもあっただろうし、とにかくそういう二人三脚体制で、深田氏は次々作品を発表していき、それらは文学界で非常に高い評価を得て、人気作家となり、一流の文士として名を馳せることになる。
運命のひとひねり
そんなある日、夫婦共に懇意にしていた文筆家の結婚式で、深田氏は思いがけない人と出会ってしまう。それはその文筆家の姉の志げ子さん。誰あろうそれは、深田氏が高校時代に見初めていた初恋の人そのひと、だった。のです。
そして彼女の方も、深田氏の事を覚えていたと。
一度火がついた想いは止まらない。それから程なく二人は連泊で山登りに行っちゃうし挙げ句、子供まで作っちゃう。
そんなハチャメチャな状況下、映画『マグノリア』なら今まさに、大量のカエルが降ってくる瞬間、深田氏に出征命令が下り戦地へ。
無事終戦を迎え、戻ってきてから、八穂さんとは離婚、志げ子さんと結婚。
失墜、そして隠遁生活
そうなると八穂さんも黙ってられない。彼が発表した小説のほとんどが、彼女の作品だと暴露しちゃった。
結果、深田氏の評価は失墜し、10年に渡る隠遁生活を余儀なくされてしまった。
その果てに生まれた「日本百名山」
隠遁してる間もずっと、深田氏は山登りを続けていた。ていうか、行くよね。そりゃあね。行くしかないよね。
その後、月間誌の連載向けに、毎月二座、一座五枚で記事を書き、それらをまとめて今度こそ、100%深田氏の言葉で綴られた本、それが日本百名山なわけです。
深田氏はその後も山に関する本を書き続け、最後も、登山中に亡くなりました。
志げ子さんは深田氏の七回忌のわずか四日後に、交通事故が元で亡くなられました。
そして北畠八穂さんは、病気と闘いながらも別の良き伴侶(事実婚、らしいですが)を得て、三人の中では一番長生きしました。
何たる数奇な人生か。
もし自分ならどうしただろうか?とか、考えると感慨深い。
でもとにかくね、その、評価が失墜して10年の隠遁生活の果てに、そうやって後年、読み継がれる事になる本を著したこと。そこに、さばい部魂を感じずにはおられんのです。
北畠八穂は信じ、尽くした夫に捨てられたことを悲しみ、深田志げ子は正妻となることで夫の地位を失墜させたことに苦しみ、深田久弥は自ら蒔いた種とはいえ、文芸界のサラブレッドとまでもてはやされたところから都落ちの苦しみ。三者三様に傷ついた。
だけども、三人ともが、最後は収まるべきところへ収まった。
唯一志げ子さんが交通事故で、というのは少し残念だが、亡くなった時期のことを知ると、それすら必然だったかも知れないと思えてくる。
ま、日本百名山はまだ読んでないのだけどね。そこは逆に、もう少し山のこと分かってから読みたいなあと。ガイドブックとして読むんじゃなくてね、深田氏の気持ちに想いを馳せながら読んでみたいと、そう思ってるんですわ。
この本に詳しいよ
今回の話はこの本に詳しいです。
深田志げ子氏の本。これも是非読みたい。
そしていろんな百名山があるよ