東京さばい部

TOKYO SURVIVE 東京砂漠で生き残れ

昭和の子供は命懸け

前からずっと書き残しておきたい、と思いつつも、手が付けられていなかったのだけど、お盆だからなのか、ふと書く気になり、noteに「父の話」というエッセイを公開しました。自分の亡き父にまつわる話です。

長くなってキリがないので割愛したのだけども、まだ沢山の思い出がありまして。

例えば、自分が友達とグランドで野球をやっていたところに父が、迎えに来たのかたまたま来たのかは覚えてないのだけど、ふらっと現れて、バット持って「ちょっと打たせろ」なんて言って。で、友達が投げた初球を、フルスイングで場外ホームランにして、グランドのはるか向こうにボールが飛んで、消えて。高笑いしてた父を思い出します。

軟式野球のボールって、昔はそんな風にしょっちゅうなくしたけど、同じくらいよく見つけて、ボールをわざわざ買った記憶があんまりないよね。自転車のスポークに2つくらいは必ず常備されてたしなあ。

なんてことを考えてるうちに、自分の子供時代、何やって遊んでたのかをどんどん思い出したので、ちょっと書いてみようかなと。TVゲームもスマホもない時代。思い出せば思い出すほど、酷いんだけども。

 

かんしゃく玉

クラッカーボール、いわゆるかんしゃく玉、多分今じゃ子供には売れないだろうな、と思うんだけど、昔は駄菓子屋あたりにあったのかな、なんかしょっちゅう持ってましたね。他に、ペンシルロケットの先に挟んで投げつけて鳴らす紙火薬とか、ピストルの玩具に付けて鳴らすキャップ火薬とか、昭和の子供の周りにはとにかく火薬が沢山あったんだけど、自分は剥き出しのかんしゃく玉派でした。基本的には壁とか塀に投げつけて「パン!」って鳴らすだけなんだけど、駐車してる車のタイヤの下にいくつか置いて、運転手が戻ってきて発車した途端「パパパン!」と鳴るのを物陰で見てたりとか。今そんなことやって見つかったら、ホントに殺されかねないですね。

なかなか運転手が戻ってこなくて、待ちきれなくなってそのまま帰っちゃったりもしたけど、それも余程タチが悪い(笑)。

 

廃工場のガラス

札幌の白石区に住んでいたのだけど、その時代はよく廃工場があって、そういうとこのガラス窓って、割るために存在すると思ってました。間違ってると思うけど。

昔のガラスって、石なんか投げつけると、パリーンって綺麗に割れるんだよね。今のガラスじゃ絶対ああはならない。石投げつけて、次から次の窓へ、パリーン、パリーンって、、、まあ気持ちよかったんだけども、これまた今やったらどんだけ怒られるか、っていうか怒られるじゃ済まないですね、ハイ。

 

廃倉庫の屋根

豊平区にロイヤルクラウンコーラの倉庫があって、たぶん廃倉庫だったんですよね。人がいた記憶がないし、何より世代的にはロイヤルクラウンコーラをお店で売ってるのを見たことがなかったし(笑)。

そこのだだっ広い屋根によく上った記憶があります。倉庫の屋根から倉庫の屋根へ、多分3階建てくらいの高さがあったと思うのだけど、飛び移ったりしてね。その間に滅茶苦茶でかいくるみの木があって、よく取って食べてたな。ひもじい。

 

コンクリート工場

近所にコンクリート工場があって、多分平日は操業してたと思うんだけど、土日は休みで誰もいなかったんで、そこもよく遊び場になってた。かくれんぼなんかするにはうってつけの場所で、四角いブロックが積まれて、立体迷路みたいになってるとこをくぐり抜けたり、嵌まったり。大事な玩具を間に落として取れなくなったり。砂利が漏斗みたいなとこを落ちてく機械があって、人が痛い目にあってるイラスト付きで「危険」って書いてるのに、わざわざそこに入ってみたり。

外壁が、等間隔に立てられた柱の間に縦に3、4枚のコンクリ板が填められている作りで、その一番下が割れてるところから忍び込んでたんだけど、あるとき友達がそこをくぐろうとして、上のコンクリが落ちてきて挟まって救急車がくる事態になった記憶もあるな。これまた今なら友達の親に半殺しにされてますね。

 

とにかく高いところが好き。そして野良犬

ある日の夕方、陽も暮れようかという頃に、ひとりで公園で遊んでたんですよね。2階建て分くらいの高さのあるロケット型の滑り台で、ロケットの中を梯子を登って、上から滑り降りてくるんですけど、ロケットの外側を上って、手すりも何もない先端に座って見晴らすのが好きで、その日もそうやって夕陽を眺めてたんですけど、気づくと下に野良犬が来てたわけ。保健所が車で野良犬を捕まえて回る時代だったし、見るからにヤバい野良犬が、まだたまに徘徊してたんですよね。その時もホントにヤバい野良犬で。ウ〜〜ッて下でずっと唸って俺を見てるわけですよ。で、ずっといるもんだから、帰るに帰れなくなっちゃって。多分暗くなってようやく野良犬がその場を離れた隙に、まだ物陰に隠れてるかも、って滅茶苦茶ドキドキしながら逃げ帰った記憶があります。

 

30年くらい前ってまだ、デスクで煙草吸いながら仕事してたのが、今では信じられないな、と思うんですけど、さらに15年くらい遡って自分が子供の時の遊びが、それ以上に信じられないくらい酷い、昭和ってホントに遠いわ、、、と改めて思いますわ。

ニュースとかになってない、もしくは記憶がない、知らないだけで、周りじゃひょっとして2、3人死んでたとしても何の不思議もない。昭和の子供って命懸けだったんだな。よく生きてたな俺。そんな感じです。