東京さばい部

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「いまモリッシーを聴くということ」を読みました。

前回のエントリでオノヨーコの事を書いた。オノヨーコにシンパシーを感じてしまう理由を、エントリをアップしてから暫く考えていたのだが、僕は周りに叩かれようが何だろうが自分を曲げないという、その精神にこそサバイブ魂を感じずにいられないのかな、てなことを思いました。


同じように、知名度と比例して、賞賛と同じくらい物凄く叩かれる人たち、として思い浮かべるのは、これまた前回のエントリでも触れたボーイ・ジョージ、既に鬼籍の人ではあるがマイケル・ジャクソン、そして元ザ・スミスのフロントマンで、解散後30年近くソロでやっている、モリッシーの名前が浮かぶ。

モリッシーを知らない人にどういう人なのか説明するのはちょっと難しいが、ものすごくざっくりと言ってしまうと「ネットが普及する前から炎上マーケティングのプロだった人」みたいな感じ、なのかな。

そんなモリッシーに関する本が2017年の春、突然書店に並び始めた。

 

いまモリッシーを聴くということ (ele-king books)

いまモリッシーを聴くということ (ele-king books)

 

 

僕自身、高校時代はリアルタイムでザ・スミスのファンだったのだが(ザ・スミスは1987年に解散)ソロになってからのモリッシーは殆ど聴いていなかった。何でかと言えばモリッシーの書く歌詞とギタリストのジョニー・マーの作り出す音楽の組合せは、あの時代において全く奇跡と言って良い、唯一無二のものだと感じていたから。

だが今、こんな本が書店に並ぶこと自体がとても気になり、書店で立ち読みを繰り返していたのだが、最終的には購入してしまう事となった。

 

モリッシー、もしくは大英帝国の衰退ならびに滅亡

著者自身が前書きで触れている通り、この本はモリッシーのディスクガイドの体を取ってはいるが、内容としては80年代以前から現在に至る、主に北部を中心としたイギリス史だと言える。

我々日本人にはなかなか理解が難しい、イギリスの階級問題と音楽の関係性、パンクやスカと極右団体の関係性(シャム69やザ・セレクターあたりのエピソードが出てくる)、また、我々日本人にはせいぜいモッズのファッションアイテムのひとつでしかないフレッドペリーが英国ワーキングクラスの人々に意味するもの、そういった、ブリティッシュ文化に関心のあるものならば知っておかなくてはならないエピソードが沢山載っている。

この本には出てこないが、これを読むと60年代のバンド、例えばザ・フーユニオンジャックの服をポップアートとして着たこと、キンクスが「アーサー、もしくは大英帝国の衰退ならびに滅亡」みたいなアルバムを作った事などが、また違った意味を持って見えてくる。

 

そしてモリッシーである。そうやって移ろい行く世の中で30年もの間、ずっと自身に忠実に、筋の通った創作活動を続けて来たことがよくわかる。そしてこれも日本人からはとてもわかりづらいのだが、彼の書く詩が英国人にとっては、独特のユーモアを含んだものとして支持されている様が、よくわかる本だ。久しぶりに良書に出会えた。感謝。

 

読了後、YouTubeでソロになってからの曲を色々聴いてみた。だがやはり、ザ・スミスのギタリスト兼作曲家であった、ギタリストのジョニー・マー以上のパートナーには出会えなかったようである。今は二人ともソロのアーティストとして活動しているのであるが、両者とも頻繁にザ・スミス時代の曲を演奏している。双方に違った良さがあるために、この二人が解散しないでずっとやっていたらどうなっていたのだろうかと、ただただ残念な気持ちはある。ロックの歴史における悲劇の影には、常に女ありなのである。エアロスミスしかり、チープトリックしかり。女は責めない。惚れたジョニーが悪い。知らんけど。

また前回と同じようなオチになってしまうが、モリッシーもまた今は癌と闘病中のようである。なんとか健康で、アーティスト人生を全うして欲しいと願う。

 

ワールド・ピース・イズ・ノン・オブ・ユア・ビジネス~世界平和など貴様の知ったことじゃない