東京さばい部

TOKYO SURVIVE 東京砂漠で生き残れ

今一番シンパシーを感じる人はオノヨーコ

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最近、オノヨーコという人物にとてもシンパシーを感じる。

気になったきっかけは、数年前に出た元カルチャー・クラブボーイ・ジョージのソロアルバムで、彼がオノヨーコのカバー曲「Death of Samantha」を取り上げていて、その歌詞を読んでからだと思う。

 

ディス・イズ・ホワット・アイ・ドゥ

ディス・イズ・ホワット・アイ・ドゥ

 

 

僕はオノヨーコほど、世界中で嫌われている人間はちょっといないと思う。

 

オノヨーコがどれくらい嫌われているのか

YouTubeに、とある動画(音声のみ)がある。敢えてリンクは貼らない。それは後期ビートルズのスタジオレコーディングの様子を録音した、恐らくは海賊盤で出回っているものから編集されたと思われるが、約20分にわたってヨーコが、当時ラブラブであったジョンの名前を呼び(叫び)続ける様子が伺える。

この当時ビートルズは、既にコンサート活動をやめており、その活動をレコーディングのみにすると宣言した後であった。つまりこの頃彼らは毎日スタジオに入り浸りになっていたのであり、そこで朝から晩まで過ごすのは、サラリーマンが会社に通うが如く、日課のようなものになっていたと思う。

それを思えば、そのうちのほんの20〜30分、もしくは一日中であったとしても、こんなお遊びのような時間があったとて、さほど不思議ではない。時代も時代なので、もしかしたら何かでハイになっていたのかも知れない。

その間バックで聞こえるピアノの「マーサ・マイ・ディア」、これはポールの曲で、繰り返しそれを弾き続ける様はまさにその作曲中だったのであろうが、そのタッチは時折叩きつけるようなトーンになり、イライラしていたように聞こえないこともない。

とはいえ、この頃は、ポールの奥さんのリンダやジョージの彼女らもスタジオに出入りしていたようであるし、何よりヨーコがいなくとも、メンバーは既に親のような存在であったブライアン・エプスタインの死をきっかけに、バラバラになりつつあった時代である。

だがしかし、さらにその後の時代、まさに解散間際の日々を記録した映画「レット・イット・ビー」で見られる、4人の真剣な演奏中にもジョンの隣にぴったり寄り添って座るヨーコのイメージは強く、がために、その後のビートルズの解散はヨーコのせいだと信じている人は沢山いる。そして解散後、ジョンが凶弾に倒れたことですら「ヨーコと一緒になったせい」と思っている人すらいる。先の動画のコメント欄も、8割方はそういう人たちのコメントだ。「暗殺者は殺す相手を間違った」とまで書いている人もいた。有名人相手なら何を言ってもいいわけではない、というモラルは、ネット上では世界規模で崩壊しているようだ。

 

先日図書館で、そんなオノヨーコの著書を読んだ。静かで強靱なポジティブネスに満ちた本だった。

 

今あなたに知ってもらいたいこと

今あなたに知ってもらいたいこと

 

 

何より凄いと感じたのは、最愛の旦那は殺され、ビートルズやその後のジョンのソロキャリアに至るまで、その関わりを悪し様に言われ、言わば「全力の悪意に満ちた世界」に生きざるを得ない彼女の一体どこから、これほどのポジティブネスが生まれるのか、ということである。

勿論関わった相手は、他の誰でもない「ジョン・レノン」である。二人とも強烈な才気に溢れた人だから、出会った事は必然とも言える。だが、これだけ人がいる世の中で、二人の出会いは宝くじ並みの確率だったと思うのである。それに出会えたという事実が、ジョンが死しても尚、彼女を支えたのは間違いないだろう。

 

だとしても、人というのはそれほど強い生き物ではない。支えてくれる人があったとして、毎日のように、会ったこともない人間から(直接でないにしろ)罵詈雑言を受け続けて、平気でいられる人はいないと思う。

 

本の中で非常に印象的だったエピソード

あることで彼女のことを酷評したメディアの人間がいたらしいのだが、彼女は毎日、彼らに対して「Bless you 誰それ」と、ひとりひとり名前入りで、祝福を続けたらしい。それを続けることでやがて、彼らよりも精神的優位に立てた気持ちになり、乗り越えることが出来たと言うのだ。不思議とそのうち、周りの反応もだんだん変わり、批判も少数になったらしい。

ある批判に反応する際に、私は傷ついた、と、感情的・攻撃的に反応する事は出来る。それは、もともとその人を擁護する立場の人からの同情は得られるかも知れない。だが中立的な第三者の共感を得られる保証はない。むしろ感情的に反応する様を、事実を指摘されてムキにならざるを得ないのではないか、と思われるかも知れない。しかも最初は味方をしていた人ですら、ずっと味方でいることは難しい。何故なら怒りに付き合い続けるのは、何より気を遣うし、疲れるのだ。

だからそれに冷静に対処することによって、理解者を増やす方が、よっぽどいい。しかしそれは、言うは易し、というやつで、わかってはいてもなかなか出来ることではない。

それをやってのけたオノヨーコに感じるのは、したたかさ、などではなく、そうやってなんとか必死に状況を乗り越えてきたのだろう、という健気さ。僕はそんなことを強く感じてしまう。

 

そんなオノヨーコも84歳

先月あたりのニュースで、今は車いす生活だという記事を見た。彼女のような人生を歩んだ人はそうそういない。数奇な人生、と言うしかないだろう。出来れば晩年は、もっと沢山の人に祝福されて欲しいと、正直思う。

ちなみに冒頭紹介したボーイ・ジョージのアルバムで、「Bigger Than War」という曲中の歌詞にも、ヨーコの事が歌われている。ボーイ・ジョージはヨーコの事をビートルズエルビスと同等、もしくはそれ以上に位置づけているかのようだ。このアルバムもまたオススメである。

Bigger than The Beatles, The Rolling Stones, bigger than Elvis, but not YOKO

Bigger than you, Bigger than me, Love is bigger than War. 

 

グレープフルーツ・ジュース (講談社文庫)

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どんぐり

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忘れがたき日々 ジョン・レノン、オノ・ヨーコと過ごして

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