東京さばい部

TOKYO SURVIVE 東京砂漠で生き残れ

「府中三億円事件を計画・実行したのは私です。」を読んだ。

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昭和の未解決事件として名高い「三億円事件」。

三億円事件発生から50年目の今年、実行犯本人と名乗る人の手記が、インターネットの投稿小説サイト「小説家になろう」で公開された。

ちょいちょい引用させて頂いて恐縮だが、ザ・コレクターズのギタリスト、古市コータロー氏は、昭和のミステリーを追っている人物としてファンの間では有名である。その氏が、ポッドキャスト「池袋交差点24時」のシーズン7、第97話「三億円事件再燃の巻」で、この手記について語っていたことで、その存在を知った。

ザ・コレクターズのポッドキャスト「池袋交差点24時」アーカイブ

ポッドキャストが公開された日には既に、「小説家になろう」上、投稿が削除されていて(一時的?)読めなかったので、書籍化決まったのかな、とは思っていたが、その後、経緯を気にすることもなく、過ごしていた。

と言う程度に、大した関心はなかったわけである。

突然のLINE。

したところ先日、何の脈絡もなく、友人の宮氏からLINEが来た。どういう経緯があったのかは知らないが「三億円事件の第四現場って、ぎゃんごさんちの近くみたいですよ」と突然、ニュース記事の写真と照らし合わせた地図をよこしてきたのである。

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え、ここ知ってますわ。確かに近いし、春先この辺は桜が綺麗なので、カメラなんか持ってふらふら散歩して、この辺りで突き当たりになるので、煙草なんかふかして毎年一息ついてる辺りなのである。

こうなると面白いもので、俄然身近になり、興味が湧いてくる。事件は1968年12月の出来事だが、1968年は私の生まれ年であり、事件発生時は赤ん坊なので勿論知らないが、自分が小学生の頃くらいまではまだまだ事件も捜査中で、恐らく昭和50年の時効成立前後は、度々ワイドショーなどで取り上げられていた記憶もあり、まさに昭和の大事件だったのである。

そんな経緯から、本日ついに、書籍を購入した。

府中三億円事件を計画・実行したのは私です。

府中三億円事件を計画・実行したのは私です。

 

まず昼に家を出て、第四現場付近を散歩。それから本屋に向かい、本屋を出たその足で最寄りのパン屋にイートイン、読み始めた途端、面白くて一気に読み切った。

事件の概要についてはWikipediaに詳しいので、事件について知らない人はまずそれをさっと読んで頂いて、それからこの本を読んでみて頂ければと思う。

三億円事件 - Wikipedia

ミステリーの真相に迫りたい、完全犯罪の謎に迫りたい、そういう向きには期待外れかも知れない。ただ、自分には、これはとてつもないリアリティを持った話に映った。Wikipediaに掲載されている情報の点と点が、スッキリと繋がる感覚を味わえるはずだ。フィクションだとしても、なかなか良く出来ている話だ。

読み終えると夕方。帰り道、再び第四現場に足を運んだ。現場に佇み、煙草をふかして想いを巡らせる。犯行より前、犯人はここに何度足を運んだだろう。そして50年前の12月10日に、ここで現金をジュラルミンケースから取り出し、逃走用の車に移し換え、ここを後にしたのだと。

果たして真贋の如何は。

実行犯本人の手記かどうか、それは読んだ人の判断に委ねるよりない。ただ、自分は、これが真実であって欲しいなあ、と思った。

本の中に、こういう一節がある。

「人生を賭ける理由が、恋愛の他にあるでしょうか。」

この昭和の大事件の、真の動機がそれ?と、思う人もあるかも知れない。けれども、僕はこの一文に、とてもリアルを感じる。あとは兎に角、運があった、というか運命なのか、そういうことだと思う。何にせよここに書かれたような日々を経て、事件の時効、その後昭和63年に民事の時効も経て、50年。こうして手記を発表出来たことが本当であれば、これはまさに、サバイブの見本みたいな人生であったというしかない。リスペクト。

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初恋

初恋

 

Amazon三億円事件を検索したら、これも三億円事件に関係ある話なの?観なくちゃ。



粋な男なら「さらば青春の新宿JAM」は観とこうよ。

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何だか音楽映画がアツいような気がしてるのは僕だけですかね。

前回の記事で書いた「ボヘミアン・ラプソディ」を皮切りに、レディー・ガガ主演の「アリー」やら、ブラーのセカンドアルバムのタイトルをそのまま拝借した「モダン・ライフ・イズ・ラビッシュ」やら、あとはクラプトンの映画も公開されるみたいだし。

そんな中、「ボヘミアン・ラプソディ」を公開中の新宿ピカデリーで、もうひとつ、最高な音楽ドキュメンタリー映画、やってます。あんまり良くて、ボヘミアン・ラプソディに引き続き2回観てしまいました。

昨年、30周年イヤーの締めで3月に武道館公演を大成功させたザ・コレクターズが、武道館後の12月に新宿の小さなライブハウス、そこは彼らが初めてワンマンライブを行った場所なのですが、そこが取り壊しになるという事で、さよなら凱旋ライブを行うまでの様子を軸として展開する映画「さらば青春の新宿JAMです。

映画『THE COLLECTORS~さらば青春の新宿JAM~』公式サイト

 

何回笑ったかわからない。

タイトルにしろあらすじにしろ、さぞかしノスタルジックな、センチメンタルな映画なのかな、と想像するじゃないですか。全然そんなじゃないです。はっきり言って、何回声を出して笑ったかわからない(笑)

コレクターズは何度かリズム隊のメンバーチェンジを行っており、今や当時の新宿JAMのステージにコレクターズとして出演していたのは、全曲の作詞作曲を担当するボーカルの加藤ひさし氏、そしてギターの古市コータロー氏のみとなっています(現ベーシストの山森氏も、当時シャムロックというバンドで新宿JAMに度々出演していたミュージシャンの一人ではありますが)。

その2人とも、そして当時を知るゲストコメンタリーの面々も、誰ひとりセンチメンタルな様子は皆無。先日シーズン8が始まった、月間40万ダウンロードの人気ポッドキャスト「池袋交差点24時」の雰囲気そのまま、笑い話も交えて、当時を振り返ります。

ザ・コレクターズのポッドキャスト「池袋交差点24時」

しかし、そんなサバサバした雰囲気の中、映画の進行に沿って徐々に浮き彫りになってくるのが、加藤古市両氏の固い絆。このふたりだったから、当時のモッズシーンから総スカンを食らいながらもメジャーデビューを果たした、このふたりだったから、30年以上も(大ヒット曲もないのに)ロックンロールバンド人生を続けて来れた。そういう姿が明らかになっていきます。川口潤監督、僕は今回初めて作品を拝聴しましたけど、素晴らしい編集だなと感じました。

 

笑ってたのに、不覚にもグッと来た。

ライブシーンは1986年のJAM、2017年のJAMをタイムマシンの様に行き来しますが、映画終盤、とある曲の、2017年のライブシーンがフルで流れます。

この曲は、古市コータロー氏がコレクターズのメンバーになって、最初に作られた曲なんですね。個人的には、コレクターズを初めて聴いた1987年リリースのインディーズ盤「ようこそお花畑とマッシュルーム王国へ」の中で、最初に好きになった曲だったな、という思い入れもあるのですけど、歌詞が、何とも訴えかけてくるのです。それが、18歳でこの曲を聴いていた時と同じように響いているのか、わからないのだけど、懐かしいとかではないんですよね。今のリアルとして響いてくる。

ボヘミアン・ラプソディにおいても、最後のライブエイドのシーンは全曲歌詞が出ていて、それら全てが、それまでのフレディの歩みを総括するような内容で、そこに驚き感動させられるわけですけど、この映画でのこの一曲もまさに、加藤ひさしという男の想いが凝縮されて伝わる場面で、不覚にもグッと来てしまいました。

そんな場面もありつつも、映画全体、決してノスタルジーに陥らないのは、ザ・コレクターズ自体が、そして登場する様々な人含め、現在進行形、現役感、そういうものが漲っているからなんだろうな。そう感じました。

 

成功って何だろう。

僕のように長年ファンやってます、という人よりは、ザ・コレクターズをこれまで聴いたことがない、知らなかった、そういう人にこそ、勧めたい映画なんですよね。特に、男だったら、何か感じるものがあるはず。なんていうか、生き方が、粋なんですよ。

この映画のもうひとつ大きなテーマが「MODS」ですが、加藤古市両氏にとって、モッドであるということは「粋」であるということと同義なのかなと。粋であるならば、ドレスコードがモッドじゃなくったっていい(逆に言えば、ドレスコードがモッドでも、粋でないんじゃダメだよ、と)そういう境地に、辿り着いているのかな。自分はそのように解釈しました。

ザ・コレクターズにはいわゆる大ヒット曲というものがないから、この映画、ロックのサクセスストーリーとしては映らないのかも知れない。ただ、間違いなく、人生のサクセスストーリーではあるなと、そんな風に感じています。

何を成功と思うかは人それぞれ。大金持ちになるとか、有名なセレブになるとか、そういうことではないけども、こういう成功もあるんだよ、と。

いや、まあ、もっともっと売れたいんだろうな、とは思うんですけどね。メジャーデビュー31年目の今年、23枚目のオリジナルアルバムもリリースされました。これ、キャリア何度目かのマストバイアルバムに仕上がってます。最高です。加藤氏は再来年還暦で(そんな歳に全然見えない)、さいたまスーパーアリーナのライブをやるなんて冗談ぽく言ってますけど、これは本当に実現して欲しいです。

 

というわけで、新宿ピカデリーでは12/6(木)まで、その後渋谷HUMAXシネマで一週間、さらに池袋シネマ・ロサで12/27(木)まで、さらにその後12/28(金)からはMOVIX昭島にて、また全国の映画館でも上映中なので、是非とも足を運んで頂きたいです。

2019年は、1/11(金)〜シアタス調布、1/25(金)〜アップリンク吉祥寺で上映されます。(2019/1/12追記)

女は「ボヘミアン・ラプソディ」、男は「さらば青春の新宿JAM」ってことでひとつ。

 

Blu-ray出ました。本編では案外少なかったライブの全長版が収録されてます。相当よろし。

 

YOUNG MAN ROCK

YOUNG MAN ROCK

 

 

ライブ・エイドのクイーン。

映画「ボヘミアン・ラプソディ」を観ました。封切日に4DXで、その後IMAXでと、都合2回観ました。今のところ。

実は私、小3で初めて買ったロックのレコードはクイーンのセカンド、初めて観たロックコンサートは79年5月、札幌は真駒内アイスアリーナでのクイーン来日公演なので、クイーンにはそこそこ思い入れがあります。小学生時代は、虎柄のスキニーパンツを履いたドラマーのロジャー・テイラーに憧れてました。

あと、小学校の遠足で、バスの中でのど自慢大会やりまして、ボヘミアン・ラプソディ歌って優勝しました。嫌なガキだ。優勝賞品は明星の付録の、ビンクレディーのサウスポーの振り付け解説だった記憶。

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閑話休題。映画そのものはなんつっても2回観たくらいだし、よかったです。なんならもう1回観に行きたいくらいで。12月には爆音上映もありますしね。

爆音映画祭 オフィシャルサイト

映画のヒットとは裏腹に、時系列の入れ替えについて、否定的な評論も多いようだけど、何せ2時間強でクイーンヒストリーをやろうというのだし、まして娯楽映画ですんで、個人的には仕方あるまいなあと思います。

バンドの危機を乗り越え、ライブ・エイドで歴史に残るパフォーマンスを行う経緯は、映画で描かれているそれは、確かに事実に反するんですよね。でも全然いいよ。映画だし。

 

といいつつ、当時を知るオジサンとして、あれがどういうものだったのか、あのイベントを当時の音楽ファンはどう受け止めたのか、もうあちこちで散々書かれてる気もするけど、あくまで、私一個人の印象ではありますが、ちょっと書いてみようかなあと思います。

 

そもそもライブ・エイドとは。

ライブ・エイドの開催は85年の7月でしたが、先立つこと半年、84年のクリスマスあたりに「バンド・エイド」というチャリティープロジェクトがイギリスで結成され、アフリカ飢餓を救うためのチャリティーシングルをリリースしたわけです。発起人は、ブームタウン・ラッツボブ・ゲルドフと、ウルトラヴォックスのミッジ・ユーロ

当時はMTVの時代。イギリスのニューウェイブバンドがアメリカのチャート上位を独占し、「第2次ブリティッシュインベイジョン」なんて言われていた時代でして。従って参加ミュージシャンも、ライブパフォーマンスよりは、ミュージックビデオで人気が沸騰した、デュラン・デュランバナナラマカルチャー・クラブスパンダー・バレエフランキー・ゴーズ・トゥ・ハリウッド、ポール・ヤング、そしてワム!などなど、当時のヤングに人気の、そういうメンツでありました。

その流れを受けて「60年代のウッドストックコンサート以来の大規模ライブイベント」として、再びボブ・ゲルドフの呼びかけによりライブ・エイドが開催される事になったのであります。

とは言え当時は、ライブパフォーマンスというものが軽視されていた時代。シンセサイザーやサンプリングマシンの進化、(従来よりは)安価に音楽制作が可能なATARI等のコンピューターの普及で、それほど楽器演奏を極めなくても音楽が作れるようになったこと、さらにはMTVの普及で、70年代だったら、イギリスのバンドがアメリカで人気を得るにはひたすら広いアメリカをツアーして回る必要があったのが、カッコよいビデオクリップを作ればそれでよくなった。そういう時代に大人気だったデュランデュランなんかは、果たしてこの人らは本当に楽器を演奏できるのか、ステージで弾いているのは本人なのか、なんてことをしょっちゅう言われていたわけですね。「ベーシストとドラマーいるけど、聴こえるのシンベとドラムマシンじゃん」みたいな。

そんなわけだから、当時からライブアルバムをリリースしてそれが売れていたようなU2みたいなバンドは別として、他の若手ミュージシャンはライブパフォーマーとしては正直、経験値も浅く、小粒でした。恐らくはそんな経緯から、またライブ・エイドバンド・エイド同様に、チャリティー目的のイベントだったゆえ、幅広い層にアピールする必要があり、ベテランの参加は必須だったわけです。

とはいえ、ツェッペリンもフーも参加バンドに名を連ねてはいたものの、この2バンドは実質この時点では解散していて、この日限りの再結成だったわけだし、ストーンズボブ・ディランなんかは、一番トレンドから外れていた時代でした。(そんな時期も乗り越えて、まだ現役でやってる、ってのが凄いとこなんですけどね。)ミック・ジャガーキース・リチャーズも、ストーンズとしてではなく別々で参加していました。要するに、名実共に大トリを飾れるバンドがいなかったと。

 

クイーンはどうだったのか。

それならば、クイーンは期待の星だったのか、というと、実は前年の84年に、南アフリカの白人リゾート地であるサンシティでコンサートを行っていたのですね。

アパルトヘイトが問題視され、国連から南アフリカへの文化的ボイコットが呼びかけられていた時期だけに、この行為は政治的・文化的に総スカンを食らったわけです。翌85年には「サンシティ」っていう、アパルトヘイト反対アーティストによるシングルが話題になったくらいでした。

ここは映画のイメージとも重なるのだけど、80年リリースの「ザ・ゲーム」、そこからのシングルカット「地獄へ道連れ」の大ヒット、そのあたりは初期〜中期の大袈裟なサウンドメイキングから上手く脱却して音楽トレンドには乗っていたけれども、次作で全面的にシンセサイザーを導入してディスコ調のサウンドに取り組んだ「ホット・スペース」が大コケしたりと、なんとなく「ロートルバンド」の匂いが漂い出したところでの南アフリカ騒動。

しかしその間も「レディオ・ガガ」ちゅう大ヒット曲はあったので、決して第一線から退いていたわけではないのだけれども、フレディの私生活のイメージも相まって「大御所」「儲かればどこでもコンサートやる」みたいなイメージがついていたのは否めないわけです。

 

そして始まったライブ・エイド

全世界84カ国同時衛星生中継てなわけで、僕もテレビにかじりつきで観てました。

まず、司会が南こうせつだったあたりで「うーん」と感じたのは否めません。まあ日本ローカル事情ですけども。で、エルヴィス・コステロビートルズカバー「愛こそはすべて」に「選曲ベタすぎでダサい」と感じたり、トンプソン・ツインズに「そこそこライブバンドじゃん。でも3人のメンバーのうち2人は大して楽器弾いてないし頑張ってるのボーカル兼ギターのトム・ベイリーだけだし、ていうかこいつらもビートルズカバーかよ」と思ったり、U2はかなり評判よかったし悪くなかったけども、客席の女の子引っ張り出してダンスしてキスするのはちょっとナルシストっぽくてキモイ(←この後これはU2ライブの定番になるんですけどね)などと感じたりしながら、まあ、観ておったわけです。そして。

 

クイーン登場。

上述の「ザ・ゲーム」くらいまでは熱烈なクイーンファンだったけども、80年あたりからはYMOによるテクノの洗礼を受け、それ以降もっぱらイギリスの若手バンドに夢中になっていた自分、クイーンのライブには全く期待していなかったわけです。そもそもクイーンが出る、って事を事前に知っていたかどうかも怪しい程度で。

ところが・・・通常本編ラス前で演奏されることが多い「ボヘミアン・ラプソディ」を、いきなり初っ端にかましての会場大合唱から、もう見事に持ってかれた。多分、世界中で中継を観てた人がこの瞬間、同じ気持ちだったんじゃないかな。そして「レディオ・ガガ」。ミュージックビデオでは、4人とエキストラで手拍子してたのが、いきなりウェンブリースタジアムの75,000人で展開されると、ヤベえヤベえと高まる気持ち。

そこから例の「リーロリロレーロ」を挟みつつ、「ハンマートゥフォール」「愛という名の欲望」「ウィーウィルロックユー」そして締めの「伝説のチャンピオン」。

そうだよ、ロックコンサートってのはこういうもんだ。MTVばっかり見てて忘れてたけど。観たもの者全員にそう感じさせた圧巻のパフォーマンスで、クイーンがライブエイドの主役の座をかっさらった瞬間でした。

 

というわけで、映画は確かに時系列と事実の入れ替えはあるものの、それを知っていて尚、楽しめる作品になっているのは、メンバー役の素晴らしい演技、特にフレディ役のラミ・マレックの、フレディが憑依したんじゃないかという熱演、これに尽きると思います。落ち目のクイーンが大舞台を大成功させるカタルシス、自分は、あの時テレビで観て感じた気持ちを、こういう形で再び劇場で体験できたってことが、ただただ凄いと思いました。史実のまま、その気持ちを味わうためには、何時間の尺が必要かわかんないですからね。実際、日本公演の様子を再現した場面含め、カットされたシーンを入れると、5時間分くらいあるらしいですよ。ライブ・エイドのシーンも全曲分撮ってるらしいですし。

そういったシーンの一部はきっと後日、特別編集版として公開されるか、DVDに収められるか、とにかくそれも楽しみです。

というわけで、映画、既に大ヒットなので私ごときがオススメするまでもないんですけど、安心して観に行って、感動して貰えればと思います。

 

Queen Rock Montreal & Live Aid / [Blu-ray] [Import]

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こないだまで2,000円切ってて、いつか買おうとしてたんですけど、映画公開後一気に在庫なくなりました。全世界的に売れてるんだろうなあ。これ、ライブエイドはともかく本編のモントリオール81年のライブが最高。キレッキレのフレディが観れます。「愛にすべてを」「プレイ・ザ・ゲーム」あたりは、観てるこっちが思わず笑っちゃうくらいフレディ絶好調。圧巻。間違いなくクイーン絶頂期。何気に「ボヘミアン・ラプソディ」もベストライブバージョンかも。

 

伝説の証 ~ロック・モントリオール1981&ライヴ・エイド1985 [Blu-ray]

伝説の証 ~ロック・モントリオール1981&ライヴ・エイド1985 [Blu-ray]

 

安定高値の国内盤。輸入盤と比べたら、ですけどね。内容的には十分おつり。しゃあないのでこっち買うか-。



油断したら死が近づく

2日続けて「ぎょうざの満洲」で晩飯。

話は今月の頭に遡る。

仕事帰りにふとチャーハンを食べたくなった私。ま、チャーハンは満洲で決まりだよね、と思っているのだけど、自分のアパートの最寄り駅に、ぎょうざの満洲がない。1つ前の駅、そして2つ前の駅にも、満洲はあるのだが、私の最寄り駅には、日高屋さんしかないのである。仕事で遅くて疲れていたのもあり、途中下車もかったるいなあ、今日は日高屋さんでもいいかね、と、最寄り駅の日高屋に入った。で、激しく落胆。

日高屋に対する私の以前の評価は、旨くもないけども、可もなく不可もない平均点の中華、だったのだけど、その日食べたチャーハンは明らかに平均点以下のガッカリな出来で、その原因がどこにあるのか、分析する気にもなれないほどガッカリで、これはいずれどこかで、リベンジチャーハンせねばなるまい、と誓ったのである。それが月初の話で、昨日、満を持して、ぎょうざの満洲でリベンジチャーハンをキメたのであります。

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リベンジ成功。しかし。

リベンジチャーハンは最高であった。期待を裏切らない街場中華感。強いて言えば、ナルトが少なかった(もしかして入ってなかった?)気がするのがちいとばかし不安ではあるのですが、まあ、美味しかった。しかしリベンジををキメた私の目に飛び込んできたのは、厨房から次々と運び出される「レバニラ」であった。

満洲に来ると面白いもので、時間帯なのか、季節柄なのか、はたまた天候なのか、何となく「その日のトレンド」が存在する。例えば先日は、自分も含めて「やみつき丼」のオーダー率が非常に高かった。そして店がとても混んでいた昨日のトレンドは、明らか「レバニラ」だったのである。こうなると、どうしてもレバニラが食べたくなる。

若い世代がご存じかどうかは知らないが、私が子供時代に憧れたバカボンのパパ」の好物は「レバニラ定食」であり、好き嫌いが多い少年であった私にとって「レバニラ定食」は、バカボンパパの楽天的な性格のエネルギー源たる、とても魅力的なメニューに感じたのであり、従って自分の中では「定食屋の王道メニュー」なのである。

 

リベンジレバニラ。そして罠。

と言うわけで本日、リベンジレバニラをキメるべく、昨日とは別の満洲に来たのであるが、そこで、つい油断をし、犯してはいけないミスを犯してしまった。

今日はレバニラ、と決めていた私は、席につくなりメニューを手にすることもなく、店員と言葉を交わした。

「レバニラ定食」

「ご飯は玄米と白米どちらになさいますか?」

「白米」

たったそれだけを言い、レバニラの到着を今かと待った。

待つこと5分、私の目の前にライス、スープ、漬物、そして餃子6個が運ばれてきた。餃子?

私は店員に「餃子頼んでないんだけど」と言おうとした。と同時に、頭がAIのように状況を分析・整理し、事態を瞬時に飲み込んだついでに、言いかけた言葉を飲み込んだ。セーフ。

しかる後、レバニラ炒めが遅れて到着した。

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つまりどういうことかと言うと。

自分がイメージしていた「レバニラ定食」をぎょうざの満洲でオーダーするには、単品でレバニラ炒め、ライス、スープを頼む必要があって、ぎょうざの満洲において定食とは即ち「セット」であり、セットとはライス、スープ、漬物、そして餃子6個が自動的にくっついて来るのである。だって「ぎょうざの満洲」なんだもん。

ナウなヤングはそれでいい。だが私は既に50歳、半世紀生きたダイナソーである。セットの餃子は3個で良くないっすかね?と言いたい気持ちはあるが、そこはぎょうざの満洲さんは太っ腹なので、6個なのである。おかげでこっちが、体格的に太っ腹になってしまうのである。

普段外出するときは、360度周囲に注意を払い、電車内では速やかに人様の迷惑にならないポジションに移動し、ヤバそうな人をなるべく回避したり、ゴルゴばりの注意を払って生きている私だが、こういう思わぬ場面で油断した結果カロリー超過し、病気になり通院費がかかる、服のサイズが合わなくなり衣服代がかさばる等、私の年齢においては致命的といえるダメージを負い、着実に、死に一歩一歩近づいてしまうのである。くわばら。

 

というわけで、今とてもお腹いっぱいで、どうにかするために無駄に歩き回りながらこの記事を書いているのであるが、皆さんも油断しないよう気をつけて頂きたい。

まあ言いたいことは満洲最高」ってことです。

 

ハコそばの豆腐一丁そばを食べねば夏は終われない。

先日私は、そばいち、という蕎麦屋の話を書いた。実はそばいちの他にもう一軒、というかもう一品、そばについて書きたいのである。

 

そばいち登場以前に、私が足繁く通った立ち食い蕎麦屋といえば「ハコそば」こと、箱根そばである。といって、ハコそばは普通の、早くて美味しい立ち食い蕎麦屋であって、特筆すべき点もない。夏のこの時期を除いては。

この時期、ハコそばには(ほぼ)毎年恒例の、季節限定メニューがある。その名も「豆腐一丁そば」、直球ストレートのネーミング通り、冷やしそばに豆腐が一丁、ドドンと乗っている。

異常な猛暑であるこの夏も昨日、8月5日からメニュー開始ということで、早速先ほど食べてきた。

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へいおまち。

ハコそばのいいところは、冷たいそばがキンキンに、冷たい状態で出てくるとこである。しかも豆腐も、キンキンに冷えている。夏の火照った体をキンキンにクールダウンしてくれる。今年のような、猛暑どころでない暑さの夏も、乗り切れるぜ、なんてな気持にさせてくれる。しかも満腹感も凄まじい。キンキンケロンパである。

食べ方も色々である。蕎麦と冷やっこを両方頂いているフィーリングでも良いし、大体豆腐がデカすぎて、途中で若干飽きが生じ易いので(笑)、そんな時は豆腐をシャカシャカっと砕いて、スムージーフィーリングで行くのもよかろう。行儀悪い、なんて事は気にしなくてよいのだ。立ち食いそばはスピードが命である。

もう何年こうして、夏にこれを食べているのだろう。ただ、冒頭に「(ほぼ)毎年」と書いた通り、一度、豆腐一丁そばが夏の限定メニューに現れなかった夏があったと記憶している。当然私には、その夏の記憶がない。それほどまでに、このそばを食べないと私の夏は始まらないし終わらない。不可欠なものなのである。

 

ところで、今年初の豆腐一丁そば、調理のおじさんが豆腐を容器から取り出す際に、角が砕けてしまった。私としては別に、それでも構わなかったのだが、なんとおじさん、新しい豆腐を改めて取り出し、乗せてくれた。見栄えの良い写真が撮れて有り難い事ではあるが、砕けた豆腐の行方が心配である。廃棄ではなく、おじさんの胃に収まってくれていれば良いのだが。

箱根そば on Twitter: "皆さまお待たせいたしました❗️ 箱根そば、夏の風物詩「豆腐一丁そば・うどん」を8/5(日)から数量限定・期間限定で販売しますぞ。… "

Echoプランで洋楽を楽しむのは骨が折れる。

ちょっと早い誕生日プレゼントで、Amazon Echo Dot(アマゾンエコードット)を頂いて、アレクサとの同居生活が始まった。

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Echo Dotのユーザーになると、Amazon Music UnlimitedのEchoプランが選べて、月額380円で4,000万曲が聴き放題、つうことらしい。

4,000万曲、ってのがまるでピンとこない。単純にアルバム1枚を12曲換算として、12で割ってみると、333万枚。そのうち自分が絶対聴かないようなジャンルを省くとして、自分が聴けるのが仮に1/3として、111万枚。多いのか。

例えば、1,000品目食べ飲み放題の店に行ったとしよう。しかしメニューの殆どが「パクチー入り焼きそば」だったり「パクチー入りサラダ」だったり「パクチーと牛肉の屋台風炒め」だったり「パクチーモヒート」だったりしても、個人的には嬉しくもなんともないどころか、多分怒り心頭に達すると思うのである。数は暴力になりかねない。

なんてな屁理屈はさておき、百聞は一見にしかずですわな、ということで、早速、アレクサにお願いしてみる。

 

「アレクサ、Amazon Music Unlimited に登録して」

 

声で契約成立である。おっそろしい。オレオレ詐欺ならぬアレアレ詐欺。いや全然詐欺違いますスミマセン。

とにかくこれで、声のリクエストだけで、聴きたい曲が何でも聴ける。早速やってみよう。

 

「アレクサ、ドビュッシーかけて」

 

静かなピアノの調べが流れ始める。あー、確実に未来来たわー。家賃5万のアパートに未来来たわー。なんか銀色のボディスーツとか着たいわー。

 

すっかり未来人になった私は続けて、この8月に20数年ぶりで来日公演を行う、我が中学時代以来のヒーロー、ニック・ヘイワードの曲をリクエストした。

ニック・ヘイワード|イベント詳細|ビルボードライブ東京|Billboard Live(ビルボードライブ)

 

「アレクサ、ニックヘイワードの曲をかけて」

したところ、釣れない返事。

 

「日光平和堂の曲を見つけることが出来ませんでした」

 

うん、まあ、俺、滑舌良くないし、ね。気を取り直して、発生練習みたいな調子で、何度も「ニック、ヘイワード、の曲をかけて」を繰り返すが、どう言っても「ヘイワード」を「平和堂」としか聞いてくれない。

 

前に、友達のぼーたろーが東京に遊びに来た時に「どこ行く?」って聞いたら、「ミッドタウンに雷山銀嶺見に行くよ!」つうので、ほう雷山銀嶺。らいやまぎんれい。ミッドタウン。日本画の画家か、それとも私の知らぬ古きモノクロ写真の巨匠かしらん、なんて思いつつ、同じく友達の宮くんと「ミッドタウンで雷山銀嶺だってよ」つってついて行ったら「ライアン・マッギンレー」の写真展、だったことがある。ここは日本である。Heywardより遥かに平和堂の方が多いのである(知らんけど)。致し方ないのである。

ライアン・マッギンレーより、若き写真家たちへ贈る言葉。 | VICE JAPAN

 

とは言え、これでは、月額380円の払いがいがあまりに無さすぎるので、iPhoneのアレクサアプリから設定を「英語」に変えてみた。私自身も英語モードになって、あれくさ、ではなく、ALEXA、めっちゃLの発音を意識して呼びかける。

「Alexa. Play Nick Heyward’s Song」

途端に聴き慣れたイントロが流れる。そらそうだ。英語圏に「HEIWADO」はない。ヘイワードはHeyward である。英語圏万歳。

日本でも知名度の高い、例えばマイケル・ジャクソン、とかなら、全く問題ないのだけども、そうでない場合、つまり、4,000万曲の殆どは日本以外の国のアーティストなのだから、日本語のEchoプランでは、検索すらままならない、というのが現時点での私の感想。

というわけで暫く家では、英語モードな私になりそうなのです。

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ところで考えたら当たり前ではあるのだが、Echo Dotに話しかけた全ては、いちいちサーバーに保存される。それは、iPhoneアプリの画面で履歴、というのを確認した時に気づいたのだが、画面上に再生、っていう選択肢があって、それを押すと滑舌の悪い私がアレクサに語りかけた声が再生されるのだ。Echo Dotの小さいボディの中で、音声がテキスト化されてサーバーに送られてるかと思いきや、そんな事はなく、ただWi-FiマイクとしてEcho Dotは機能して、サーバーに音声を送りつけて、サーバーが解析して検索して結果を返してるだけだ。Amazonのサーバールームにいたらウン千万人の「アレクサ」が聴こえてくるのかと思うとゾッとする。(いや、そんな事ないのはわかってますんでほっといて)

 

ところで日本語モードで「ドビュッシーかけて」ってリクエストすると、3回に1回くらいエレファントカシマシのドビッシャー男をプレイしますか?」と言われる。

「♪男は侍さ〜、食わねど高楊枝さ〜」とミヤジの歌が流れた途端にここは再び家賃5万のアパート。すわっ。

 

Amazon Echo Dot、ブラック

Amazon Echo Dot、ブラック

 

 

WOODLAND ECHOES

WOODLAND ECHOES

 

 

ドビッシャー男

ドビッシャー男

 

 

You and I

You and I

 

 

 

25 × 2

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先日社用で札幌に行き、その時に実家に帰ったら、25年前の日記を見つけた。

日記なんかつけたのは後にも先にも、25年前のこの1年間だけだ。

 

25年前、25歳の自分

その頃は、仕事の出向先で苦手な人と相対して精神がやられ、勤めてた会社の内部でもゴタゴタが勃発して最終的には会社を辞めちゃって、一方私生活では失恋をしたりと八方塞がり、滅茶苦茶厭世的になってた頃で。読み返すと「生きてても何も面白くねえしとっとと死にたいなあ」という文章で埋め尽くされてる。

はは。笑える。

それでも後半、これじゃあいかんと思ったのか、北海道旅行をして、それに飽き足らず日記やめた直後にカナダを3ヶ月旅したくらいなんだけど、そんなダウナーな日々の中で、日記に紛れて、いくつかの物語を書き残しておった。何か吐き出さずにはおれんかったのかなあ、と振り返って思う。

 

そしてまた25年生きた。

そこから、立ち直ったのか開き直ったのか何か知らないけど、転職して、引っ越して、結婚して、子供産まれて、家を買って、離婚して、1人になって、気づくとまた25年生きちゃってて、そんなタイミングで25年前の日記を通して、過去の自分に向き合って、何だ変わんねえなあ、と、思っとるわけです。

はは。笑えない。

 

そんな昔に書いた、とある物語の序章、それはメイン部分を先に書いたあと、もっと長尺の話にしようと、あとから書き足したものなのだけど、その部分をお披露目してみたいと思います。何故か。理由はないです。ただ折角たくさん書いたのだから、誰かの目に止まれば嬉しいな、と思ったので。

今こんなの書けるのかな。余程集中しないと無理だな。

とはいえ長いから、面白くなければ途中で読むのやめられちゃうだろうし、なので、このエントリで言いたかったことを先に言っとくよ。

 

  • 人生辛くても何度でも立ち直れる。
  • 幾つになっても人間性は全く変わらない!何も成長しない!でも生きていけるもんだ。
  • でも多分、悩みのタネは永遠に尽きない。

 

てなわけで。

 

序章  1994年 ある早朝。

ドアを開けると、もう空は白々と輝いていた。

薄暗い屋内から出てきた俺はまぶしくて、カバンの中にあるはずのサングラスを、手さぐりで探していたが、500mもずっとそうしながら歩いて、ようやく、さっきまで居た店に忘れて来た事に気付いた。引き返す気にもなれず、俺はディズニーか何かの映画音楽、あのタラーララータラーララーララー、とかいうやつを口ずさんで、川沿いの道を歩いていた。

河原に落ちていた、空気の抜けたサッカーボールを蹴飛ばしながら歩き続けていた。蹴るたびに吐き気がこみ上げてきて、結局、何度か吐いた。ひとしきり吐いて落ち着いた俺は、ベンチに腰掛けた。

しばらく煙草をふかして空を見続けて、あてもなく、退屈でならなかった。

俺は頭を抱え、目を閉じて丸くなり、そうして、泣き始めた。大声をあげて泣き始めた。

ここのところ、泣くことは俺の数少ない楽しみの1つだった。理由なんか何も無い。飲み過ぎて吐くのといっしょだ。俺の人生はそう、食い過ぎなのだ。何もかも。くだらない事をいつまでも考え込んだりするのは、心についた贅肉なのだ。

とにかく俺は泣き続けていた。向こうから犬の鳴き声が近づいてきたが、構わず泣き続けていた。

が、しまいに犬は俺の目の前で喧しく吠えた挙句、俺にもたれかかるように座り込んでしまったので、俺も顔を上げざるを得なかった。

顔を上げるとその犬の、首から伸びたくさりを右手に握りしめ、小さな女の子が俺を不思議そうに見ていた。

「おじさん、どうして泣いてるの?」

面倒臭かったので黙ってそこを立ち去ろうとしたが、犬が俺のくたびれきった体に重くのしかかっていたので、気を取り直し、何か子供向きの、気の利いた答えを考え始めた。

「お兄ちゃん・・・いや、おじさんはねえ、失恋したんだよ。大好きな女の人にサヨウナラって言われてね、その人は船に乗って、遠い遠い外国に行っちゃったんだよ。あの、ほら・・・テレビのドラマみたいにさ。」

「テレビ?ドラマ?」

女の子は俺に聞き返した。

「ああ。」

この説明は失敗だったかと、俺は少し後悔していた。大事にしていたインコが死んじまった、とかそういうのが良かったかな、と思った。

「テレビはね、つくりものだって、あんなのは全部ウソだってママが言ってたわ。」

「でも君のママとパパも、テレビみたいに恋をして、それでいっしょになったんだよ。」

「そんなのウソ」女の子は言った。

「だってパパとママはずーっと昔からいっしょなんだもの。だからテレビはウソだと思うし、おじさんもウソついてる。」

俺は笑いを堪えられなくなり、大声で笑った。女の子はワケがわからない、という顔で俺を見上げて、その顔がとても可愛かったので、俺は女の子の頭を撫でながら立ち上がろうとした。

が、フラフラの俺は、よろけながら犬の尻尾を踏んづけてしまったので、犬はまた喧しく騒ぎ立て、俺に飛びかかってきた。俺は左腕を犬に噛まれた。

「やめなさい!ジョン!」

女の子はジョンを抱きかかえ、優しく叱った後、ジョンの頭を地面にこすりつけるみたいに抑えつけ言った。

「おじさんにあやまりなさい。はい、ゴメンなさいって。」

そしてニッコリ俺の顔を見て「ジョンもあやまったから、ゆるしてあげてね。」そう言いながら、向こう側へ歩いて言った。

俺のシャツの左腕は破れ血がにじんで、それはとても痛かったが、仕方なく右手でサヨナラと、女の子の方に手を振った。

 

フラフラだし、腕が痛むしで、歩く気にすらなれず、河原の草むらの上で腕を抑えながら、再び空を見上げていた。

今日は暑くなりそうだった。

川の向こう側には、少年野球のユニフォームを着た子供達が、次々に集まり始めていたし、Tシャツに短パンの、今にもぶっ倒れちまいそうなジイさんランナーが目の前を、1人、2人と走っていった。

屑かごと鉄バサミを持った、清掃婦姿のオバサンたちの何人かは、血を流して横になっている俺を、怪訝そうにチラチラ見たが、如何にも酔っ払いな見た目のせいか、誰一人声をかけてくれる者はなかった。

俺はいつだってこんな風、ってわけでは無いのだから、こんな優しい顔の持ち主に、誰か優しい声をかけてくれてもよかろうに、なんて事を思ったりしたが、やがてそんなことはどうでもよくなる程に、気温が上がっていった。

そのうちに、テニスラケットを抱えた若いカップルやら、ビニールシートとランチバスケットを持った女の子の二人連れやらが増えてきて、俺はなんだかみっともないというか、放っておいてくれるのなら構わないのだが、また別のカップルの男の方が、通り過ぎ様に俺をネタにして、何か一言二言言ったのが聞こえて、嫌な気分になったので、ようやく起き上がることにした。

人気のない方を目指し、俺はジーンズの裾を折り返し、シャツを脱ぎ捨てて、川に入った。横になっている間に少し日焼けしたらしく、冷たい水が顔にヒリヒリとしみた。

 

やがて腹が減って、川から出た俺は、河原を上がってすぐのホットドッグ屋に入った。

あまり可愛くないバイトのねえちゃんは、可愛くない上にすこぶる要領も悪く、おつりを間違えた事で一人勝手に笑い転げ、頼んだ灰皿は、全ての注文を受け取った後、もう一回頼んだ5分後に出てきた。そうこうしているうちに空席も埋まってしまい、席のない俺は窓際のカウンターで、賑やかな通りを眺めながら、マスタードのたっぷりついたホットドッグを頬張った。

一人で痛む腕をさすりながら立ち食いしている俺の目には、道行くカップルの夏らしい薄着の女たちが全て、可愛く見えた。雲一つない空に輝く太陽のせいで、俺は本当に見すぼらしく感じた。

再び外に出て、行きたいところを考えた。しかしいくら考えても本屋くらいしか行くところを思いつけなかった。こんなクソ天気の中、本を読む事ほど馬鹿げたことはないと思い、困った挙句にサングラスを取りに戻ることにした。とはいえ、店が閉まっているのはわかりきっていたのだが。

中古レコード店の前を歩くと、ザ・フーの「マイ・ジェネレーション」が流れていて、俺は昔のこと、十代の頃のことを沢山思い出していた。

すっかり人気のない飲み屋通りに戻ると、案の定店のシャッターは降りていて、ポリバケツに鼠が何匹も群がっていた。汚い水が流れる店の横の、細い路地を通り抜けて、川とは反対の大通りに出た。麦わら帽を被った男の子が、車しか通らないような道を、虫取り網を持って走って行くのが見えた。

日はすっかり高くまで昇りつめ、今や街中の全てが蒸発するのではないかと感じるほどで、陽炎が揺れていた。俺はガード下の日陰にもたれかかっていた。頭上を物凄い音を立てて列車が走り去って行くが、道路の向こうでダンボールの家に包まれ眠る男は、身動き一つしない。生きているのか、もしかすると死んでいるのか。

信号を渡って脇道に入り、角から二つ目の建物の、赤く錆びついている非常階段を、俺は駆け上っていった。野菜やら何やらのカスが詰まった、発泡スチロールのケースを蹴っ飛ばしながら。

開いた裏口からの、イタリア料理屋のトマトソースの匂いや、ハンバーグ屋から立ちこめる、ワケのわからない油の匂い、そんな中をくぐり抜け、辿り着いたのは、今や最高に燃え上がる空の真下だった。視界を遮るものは何もなく、そこからは朝からの全ての出来事以上のものが、世界の全てが見渡せた。

俺はさっき階段で拾った傷んだトマトを、傷ついた左手に握りしめ、眼下を流れる道路に狙いをつけている。

その時後ろから、体格が良く日焼けした男がやってきて「お前か!バックヤード滅茶苦茶にしやがって!」と言い終わるが早いか、俺に殴りかかってきた。俺は何だかすっかりくたびれちまって、なんの手出しも出来ずに、二発顔面に食らった後、そこに倒れこんだ。

「とっとと降りろ!最近の若いのは本当にワケわかんねえな!」

まったくだ。俺自身、一体俺が何なのか、ワケがわからない。トマトは俺の胸の上で、グチャグチャに潰れ、それはまるで心臓をえぐられたみたいに見えて、何だか映画のラストシーンを演じているような気分だった。と同時に、そんな場面のある小説もあったような気がして、懸命にタイトルを思い出そうとしたが、何故か頭に浮かぶのは、朝の少女の、犬に謝らせるときの得意げな笑顔だった。

 

今や俺はあちこち血だらけで、来た道を、川沿いの道を、戻っていた。

すれ違う高校生くらいの女の子達が、俺を見てクスクス笑っていた。俺が女子高生だったらやっぱり笑うだろうな、と思った。というか、何でもいいから、笑わせてくれるものが欲しかった。

涼しい風が俺の汗ばむこめかみを流れ、俺はもうこのまま溶けてなくなりたい気分だった。この川のずっと下流まで行って、ハックルベリーみたいにイカダに乗って海を目指し、どっかの島に流れ着いて、ヤシの実をとって喉の渇きを癒し、日が沈む迄には海で魚を捕まえて、焚き火を前に眠る、そんな生活に憧れた。が、実際のところ、持っている煙草は残り一本になって、腹が減った俺はアパートの近くまでようやく歩いて戻り、ハンバーガー屋で最後の一本をふかして、眠れなさそうな夜を前にボンヤリとしている事しか出来ずにいる。

なんてこった。

俺は胸ポケットから、折りたたみナイフを取り出して、左手の甲に突き当ててみた。何か文字を刻もうと思ってみたものの、何の気の利いた文句も浮かばない。

目を閉じ、一人の女のことを考えていた。会いたいと思った。日曜日が終わりを迎えようとしていた。

 

それから何日かは、至って普通の暮らしだった。

悲しみも怒りも何もない、それは真っ平らな日々だった。

俺の心を映す機械があったなら、それはスイッチを入れ忘れたかと思うくらいに無反応だっただろう。死んだまま、生きていた。

旅に出よう。

俺は旅行カバンに荷物を詰め、仕事の休みを取った。

地の果てへ。

この夏から逃げよう。

俺はバイクのエンジンをかけて、闇の中へと消えて行った。

 

あとがき。

1994年だから、インターネットが現れる前の時代の物語。パソコンもケータイも持ってない頃のお話。想像つかないね。随分変わってしまった。