Echoプランで洋楽を楽しむのは骨が折れる。
ちょっと早い誕生日プレゼントで、Amazon Echo Dot(アマゾンエコードット)を頂いて、アレクサとの同居生活が始まった。
Echo Dotのユーザーになると、Amazon Music UnlimitedのEchoプランが選べて、月額380円で4,000万曲が聴き放題、つうことらしい。
4,000万曲、ってのがまるでピンとこない。単純にアルバム1枚を12曲換算として、12で割ってみると、333万枚。そのうち自分が絶対聴かないようなジャンルを省くとして、自分が聴けるのが仮に1/3として、111万枚。多いのか。
例えば、1,000品目食べ飲み放題の店に行ったとしよう。しかしメニューの殆どが「パクチー入り焼きそば」だったり「パクチー入りサラダ」だったり「パクチーと牛肉の屋台風炒め」だったり「パクチーモヒート」だったりしても、個人的には嬉しくもなんともないどころか、多分怒り心頭に達すると思うのである。数は暴力になりかねない。
なんてな屁理屈はさておき、百聞は一見にしかずですわな、ということで、早速、アレクサにお願いしてみる。
「アレクサ、Amazon Music Unlimited に登録して」
声で契約成立である。おっそろしい。オレオレ詐欺ならぬアレアレ詐欺。いや全然詐欺違いますスミマセン。
とにかくこれで、声のリクエストだけで、聴きたい曲が何でも聴ける。早速やってみよう。
「アレクサ、ドビュッシーかけて」
静かなピアノの調べが流れ始める。あー、確実に未来来たわー。家賃5万のアパートに未来来たわー。なんか銀色のボディスーツとか着たいわー。
すっかり未来人になった私は続けて、この8月に20数年ぶりで来日公演を行う、我が中学時代以来のヒーロー、ニック・ヘイワードの曲をリクエストした。
ニック・ヘイワード|イベント詳細|ビルボードライブ東京|Billboard Live(ビルボードライブ)
「アレクサ、ニックヘイワードの曲をかけて」
したところ、釣れない返事。
「日光平和堂の曲を見つけることが出来ませんでした」
うん、まあ、俺、滑舌良くないし、ね。気を取り直して、発生練習みたいな調子で、何度も「ニック、ヘイワード、の曲をかけて」を繰り返すが、どう言っても「ヘイワード」を「平和堂」としか聞いてくれない。
前に、友達のぼーたろーが東京に遊びに来た時に「どこ行く?」って聞いたら、「ミッドタウンに雷山銀嶺見に行くよ!」つうので、ほう雷山銀嶺。らいやまぎんれい。ミッドタウン。日本画の画家か、それとも私の知らぬ古きモノクロ写真の巨匠かしらん、なんて思いつつ、同じく友達の宮くんと「ミッドタウンで雷山銀嶺だってよ」つってついて行ったら「ライアン・マッギンレー」の写真展、だったことがある。ここは日本である。Heywardより遥かに平和堂の方が多いのである(知らんけど)。致し方ないのである。
ライアン・マッギンレーより、若き写真家たちへ贈る言葉。 | VICE JAPAN
とは言え、これでは、月額380円の払いがいがあまりに無さすぎるので、iPhoneのアレクサアプリから設定を「英語」に変えてみた。私自身も英語モードになって、あれくさ、ではなく、ALEXA、めっちゃLの発音を意識して呼びかける。
「Alexa. Play Nick Heyward’s Song」
途端に聴き慣れたイントロが流れる。そらそうだ。英語圏に「HEIWADO」はない。ヘイワードはHeyward である。英語圏万歳。
日本でも知名度の高い、例えばマイケル・ジャクソン、とかなら、全く問題ないのだけども、そうでない場合、つまり、4,000万曲の殆どは日本以外の国のアーティストなのだから、日本語のEchoプランでは、検索すらままならない、というのが現時点での私の感想。
というわけで暫く家では、英語モードな私になりそうなのです。
ところで考えたら当たり前ではあるのだが、Echo Dotに話しかけた全ては、いちいちサーバーに保存される。それは、iPhoneアプリの画面で履歴、というのを確認した時に気づいたのだが、画面上に再生、っていう選択肢があって、それを押すと滑舌の悪い私がアレクサに語りかけた声が再生されるのだ。Echo Dotの小さいボディの中で、音声がテキスト化されてサーバーに送られてるかと思いきや、そんな事はなく、ただWi-FiマイクとしてEcho Dotは機能して、サーバーに音声を送りつけて、サーバーが解析して検索して結果を返してるだけだ。Amazonのサーバールームにいたらウン千万人の「アレクサ」が聴こえてくるのかと思うとゾッとする。(いや、そんな事ないのはわかってますんでほっといて)
ところで日本語モードで「ドビュッシーかけて」ってリクエストすると、3回に1回くらい「エレファントカシマシのドビッシャー男をプレイしますか?」と言われる。
「♪男は侍さ〜、食わねど高楊枝さ〜」とミヤジの歌が流れた途端にここは再び家賃5万のアパート。すわっ。
- 作者: Ryan McGinley
- 出版社/メーカー: Twin Palms Pub
- 発売日: 2009/12/31
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25 × 2
先日社用で札幌に行き、その時に実家に帰ったら、25年前の日記を見つけた。
日記なんかつけたのは後にも先にも、25年前のこの1年間だけだ。
25年前、25歳の自分
その頃は、仕事の出向先で苦手な人と相対して精神がやられ、勤めてた会社の内部でもゴタゴタが勃発して最終的には会社を辞めちゃって、一方私生活では失恋をしたりと八方塞がり、滅茶苦茶厭世的になってた頃で。読み返すと「生きてても何も面白くねえしとっとと死にたいなあ」という文章で埋め尽くされてる。
はは。笑える。
それでも後半、これじゃあいかんと思ったのか、北海道旅行をして、それに飽き足らず日記やめた直後にカナダを3ヶ月旅したくらいなんだけど、そんなダウナーな日々の中で、日記に紛れて、いくつかの物語を書き残しておった。何か吐き出さずにはおれんかったのかなあ、と振り返って思う。
そしてまた25年生きた。
そこから、立ち直ったのか開き直ったのか何か知らないけど、転職して、引っ越して、結婚して、子供産まれて、家を買って、離婚して、1人になって、気づくとまた25年生きちゃってて、そんなタイミングで25年前の日記を通して、過去の自分に向き合って、何だ変わんねえなあ、と、思っとるわけです。
はは。笑えない。
そんな昔に書いた、とある物語の序章、それはメイン部分を先に書いたあと、もっと長尺の話にしようと、あとから書き足したものなのだけど、その部分をお披露目してみたいと思います。何故か。理由はないです。ただ折角たくさん書いたのだから、誰かの目に止まれば嬉しいな、と思ったので。
今こんなの書けるのかな。余程集中しないと無理だな。
とはいえ長いから、面白くなければ途中で読むのやめられちゃうだろうし、なので、このエントリで言いたかったことを先に言っとくよ。
- 人生辛くても何度でも立ち直れる。
- 幾つになっても人間性は全く変わらない!何も成長しない!でも生きていけるもんだ。
- でも多分、悩みのタネは永遠に尽きない。
てなわけで。
序章 1994年 ある早朝。
ドアを開けると、もう空は白々と輝いていた。
薄暗い屋内から出てきた俺はまぶしくて、カバンの中にあるはずのサングラスを、手さぐりで探していたが、500mもずっとそうしながら歩いて、ようやく、さっきまで居た店に忘れて来た事に気付いた。引き返す気にもなれず、俺はディズニーか何かの映画音楽、あのタラーララータラーララーララー、とかいうやつを口ずさんで、川沿いの道を歩いていた。
河原に落ちていた、空気の抜けたサッカーボールを蹴飛ばしながら歩き続けていた。蹴るたびに吐き気がこみ上げてきて、結局、何度か吐いた。ひとしきり吐いて落ち着いた俺は、ベンチに腰掛けた。
しばらく煙草をふかして空を見続けて、あてもなく、退屈でならなかった。
俺は頭を抱え、目を閉じて丸くなり、そうして、泣き始めた。大声をあげて泣き始めた。
ここのところ、泣くことは俺の数少ない楽しみの1つだった。理由なんか何も無い。飲み過ぎて吐くのといっしょだ。俺の人生はそう、食い過ぎなのだ。何もかも。くだらない事をいつまでも考え込んだりするのは、心についた贅肉なのだ。
とにかく俺は泣き続けていた。向こうから犬の鳴き声が近づいてきたが、構わず泣き続けていた。
が、しまいに犬は俺の目の前で喧しく吠えた挙句、俺にもたれかかるように座り込んでしまったので、俺も顔を上げざるを得なかった。
顔を上げるとその犬の、首から伸びたくさりを右手に握りしめ、小さな女の子が俺を不思議そうに見ていた。
「おじさん、どうして泣いてるの?」
面倒臭かったので黙ってそこを立ち去ろうとしたが、犬が俺のくたびれきった体に重くのしかかっていたので、気を取り直し、何か子供向きの、気の利いた答えを考え始めた。
「お兄ちゃん・・・いや、おじさんはねえ、失恋したんだよ。大好きな女の人にサヨウナラって言われてね、その人は船に乗って、遠い遠い外国に行っちゃったんだよ。あの、ほら・・・テレビのドラマみたいにさ。」
「テレビ?ドラマ?」
女の子は俺に聞き返した。
「ああ。」
この説明は失敗だったかと、俺は少し後悔していた。大事にしていたインコが死んじまった、とかそういうのが良かったかな、と思った。
「テレビはね、つくりものだって、あんなのは全部ウソだってママが言ってたわ。」
「でも君のママとパパも、テレビみたいに恋をして、それでいっしょになったんだよ。」
「そんなのウソ」女の子は言った。
「だってパパとママはずーっと昔からいっしょなんだもの。だからテレビはウソだと思うし、おじさんもウソついてる。」
俺は笑いを堪えられなくなり、大声で笑った。女の子はワケがわからない、という顔で俺を見上げて、その顔がとても可愛かったので、俺は女の子の頭を撫でながら立ち上がろうとした。
が、フラフラの俺は、よろけながら犬の尻尾を踏んづけてしまったので、犬はまた喧しく騒ぎ立て、俺に飛びかかってきた。俺は左腕を犬に噛まれた。
「やめなさい!ジョン!」
女の子はジョンを抱きかかえ、優しく叱った後、ジョンの頭を地面にこすりつけるみたいに抑えつけ言った。
「おじさんにあやまりなさい。はい、ゴメンなさいって。」
そしてニッコリ俺の顔を見て「ジョンもあやまったから、ゆるしてあげてね。」そう言いながら、向こう側へ歩いて言った。
俺のシャツの左腕は破れ血がにじんで、それはとても痛かったが、仕方なく右手でサヨナラと、女の子の方に手を振った。
フラフラだし、腕が痛むしで、歩く気にすらなれず、河原の草むらの上で腕を抑えながら、再び空を見上げていた。
今日は暑くなりそうだった。
川の向こう側には、少年野球のユニフォームを着た子供達が、次々に集まり始めていたし、Tシャツに短パンの、今にもぶっ倒れちまいそうなジイさんランナーが目の前を、1人、2人と走っていった。
屑かごと鉄バサミを持った、清掃婦姿のオバサンたちの何人かは、血を流して横になっている俺を、怪訝そうにチラチラ見たが、如何にも酔っ払いな見た目のせいか、誰一人声をかけてくれる者はなかった。
俺はいつだってこんな風、ってわけでは無いのだから、こんな優しい顔の持ち主に、誰か優しい声をかけてくれてもよかろうに、なんて事を思ったりしたが、やがてそんなことはどうでもよくなる程に、気温が上がっていった。
そのうちに、テニスラケットを抱えた若いカップルやら、ビニールシートとランチバスケットを持った女の子の二人連れやらが増えてきて、俺はなんだかみっともないというか、放っておいてくれるのなら構わないのだが、また別のカップルの男の方が、通り過ぎ様に俺をネタにして、何か一言二言言ったのが聞こえて、嫌な気分になったので、ようやく起き上がることにした。
人気のない方を目指し、俺はジーンズの裾を折り返し、シャツを脱ぎ捨てて、川に入った。横になっている間に少し日焼けしたらしく、冷たい水が顔にヒリヒリとしみた。
やがて腹が減って、川から出た俺は、河原を上がってすぐのホットドッグ屋に入った。
あまり可愛くないバイトのねえちゃんは、可愛くない上にすこぶる要領も悪く、おつりを間違えた事で一人勝手に笑い転げ、頼んだ灰皿は、全ての注文を受け取った後、もう一回頼んだ5分後に出てきた。そうこうしているうちに空席も埋まってしまい、席のない俺は窓際のカウンターで、賑やかな通りを眺めながら、マスタードのたっぷりついたホットドッグを頬張った。
一人で痛む腕をさすりながら立ち食いしている俺の目には、道行くカップルの夏らしい薄着の女たちが全て、可愛く見えた。雲一つない空に輝く太陽のせいで、俺は本当に見すぼらしく感じた。
再び外に出て、行きたいところを考えた。しかしいくら考えても本屋くらいしか行くところを思いつけなかった。こんなクソ天気の中、本を読む事ほど馬鹿げたことはないと思い、困った挙句にサングラスを取りに戻ることにした。とはいえ、店が閉まっているのはわかりきっていたのだが。
中古レコード店の前を歩くと、ザ・フーの「マイ・ジェネレーション」が流れていて、俺は昔のこと、十代の頃のことを沢山思い出していた。
すっかり人気のない飲み屋通りに戻ると、案の定店のシャッターは降りていて、ポリバケツに鼠が何匹も群がっていた。汚い水が流れる店の横の、細い路地を通り抜けて、川とは反対の大通りに出た。麦わら帽を被った男の子が、車しか通らないような道を、虫取り網を持って走って行くのが見えた。
日はすっかり高くまで昇りつめ、今や街中の全てが蒸発するのではないかと感じるほどで、陽炎が揺れていた。俺はガード下の日陰にもたれかかっていた。頭上を物凄い音を立てて列車が走り去って行くが、道路の向こうでダンボールの家に包まれ眠る男は、身動き一つしない。生きているのか、もしかすると死んでいるのか。
信号を渡って脇道に入り、角から二つ目の建物の、赤く錆びついている非常階段を、俺は駆け上っていった。野菜やら何やらのカスが詰まった、発泡スチロールのケースを蹴っ飛ばしながら。
開いた裏口からの、イタリア料理屋のトマトソースの匂いや、ハンバーグ屋から立ちこめる、ワケのわからない油の匂い、そんな中をくぐり抜け、辿り着いたのは、今や最高に燃え上がる空の真下だった。視界を遮るものは何もなく、そこからは朝からの全ての出来事以上のものが、世界の全てが見渡せた。
俺はさっき階段で拾った傷んだトマトを、傷ついた左手に握りしめ、眼下を流れる道路に狙いをつけている。
その時後ろから、体格が良く日焼けした男がやってきて「お前か!バックヤード滅茶苦茶にしやがって!」と言い終わるが早いか、俺に殴りかかってきた。俺は何だかすっかりくたびれちまって、なんの手出しも出来ずに、二発顔面に食らった後、そこに倒れこんだ。
「とっとと降りろ!最近の若いのは本当にワケわかんねえな!」
まったくだ。俺自身、一体俺が何なのか、ワケがわからない。トマトは俺の胸の上で、グチャグチャに潰れ、それはまるで心臓をえぐられたみたいに見えて、何だか映画のラストシーンを演じているような気分だった。と同時に、そんな場面のある小説もあったような気がして、懸命にタイトルを思い出そうとしたが、何故か頭に浮かぶのは、朝の少女の、犬に謝らせるときの得意げな笑顔だった。
今や俺はあちこち血だらけで、来た道を、川沿いの道を、戻っていた。
すれ違う高校生くらいの女の子達が、俺を見てクスクス笑っていた。俺が女子高生だったらやっぱり笑うだろうな、と思った。というか、何でもいいから、笑わせてくれるものが欲しかった。
涼しい風が俺の汗ばむこめかみを流れ、俺はもうこのまま溶けてなくなりたい気分だった。この川のずっと下流まで行って、ハックルベリーみたいにイカダに乗って海を目指し、どっかの島に流れ着いて、ヤシの実をとって喉の渇きを癒し、日が沈む迄には海で魚を捕まえて、焚き火を前に眠る、そんな生活に憧れた。が、実際のところ、持っている煙草は残り一本になって、腹が減った俺はアパートの近くまでようやく歩いて戻り、ハンバーガー屋で最後の一本をふかして、眠れなさそうな夜を前にボンヤリとしている事しか出来ずにいる。
なんてこった。
俺は胸ポケットから、折りたたみナイフを取り出して、左手の甲に突き当ててみた。何か文字を刻もうと思ってみたものの、何の気の利いた文句も浮かばない。
目を閉じ、一人の女のことを考えていた。会いたいと思った。日曜日が終わりを迎えようとしていた。
それから何日かは、至って普通の暮らしだった。
悲しみも怒りも何もない、それは真っ平らな日々だった。
俺の心を映す機械があったなら、それはスイッチを入れ忘れたかと思うくらいに無反応だっただろう。死んだまま、生きていた。
旅に出よう。
俺は旅行カバンに荷物を詰め、仕事の休みを取った。
地の果てへ。
この夏から逃げよう。
俺はバイクのエンジンをかけて、闇の中へと消えて行った。
あとがき。
1994年だから、インターネットが現れる前の時代の物語。パソコンもケータイも持ってない頃のお話。想像つかないね。随分変わってしまった。
愛しのクロワッサン
うまいクロワッサンを探している。
なんて書き出しておいて何だが、正確に言うと探してはない。思いがけない出会いを待っている。だからネットのオススメ記事を探したり、人にオススメを聞いて回ったりはしない。例えばそれが銀座にあると言われて、行ってみて、評判通り美味しかったとして、それがどうだと言うのか。
そうではないのだ。ただただ、自分が向かった先々のパン屋で、クロワッサンがあれば買う。それだけである。探しには行かない。出会いたいのである。出会い頭の恋に落ちたいのである。理想のクロワッサンに出会えれば、それはすぐに、直感でわかるのである。
さて、個人的にクロワッサンには若干拘り、というか好みがある。私見であるが、クロワッサンは「バターが全て」だと思う。なので「高けりゃ美味い」となりそうなもんだが、全くそうでないので、困る。
例えば、神戸屋なんかは結構(神戸屋は全般的にそうだが)いいお値段してる。だがクロワッサンについては、全く大したことない。バタールはイケてると思うんだけど、ね。
そんなわけで、神戸屋のクロワッサンを食べた日などは、「モノの値段」っていったい何なんだろう、と経済について思いを巡らせてしまうこともしばしばなのだが、そういう事を考えるのは体に毒なので、すぐやめる。
閑話休題。近所のご贔屓のパン屋のクロワッサン、これは神戸屋より安いのだが、バターの風味がよく、なかなか美味である。
しかしなんといっても、今のところの私の一番は、殆ど毎朝、出社前に寄っている豊洲のパン屋のクロワッサンである。
表面はカリカリ、齧り付くと、中から芳醇なバターの香りがジュワッとくる。忙しい朝のひと時、一瞬ではあるが幸せになれる。気がする。今日も一日乗り切ろう、そんな風に、2分くらいは思える。気がする。人によっては「油っこ過ぎる」と思われるかもしれない。しかし3つも4つも食べるもんではないから、これでいいのである。特別な存在なのである。「愛してるというより気にってる(ザ・コレクターズ)」なのである。
その店にはかれこれ、もう7年くらい通ってるのに、クロワッサン食べたのは先月が初めてだったんだけど、それもまたよし。ステキなパンはさり気なく、近くにいても気づかないものなのだ。
この文章が、何かを暗示してるように感じた人は恐らく考えすぎである。黙ってクロワッサン食え、つう感じ。
というわけで、冒頭の写真はまるで朝食のような今日の夕食、神戸屋のクロワッサンです。見た目が素敵だからまた困る。騙されないぜ。まあ言うほど悪くはなかったんですけど、ね。
こちらお気に入りのクロワッサンでございます。ここのパンは調理パンも凝ったものが多くて美味しい。
そばいちに対する、私の複雑な想い。それについての考察。
4年前の6月15日。私は「そばいち」に、恋に落ちた。
そばいちはJR東日本の駅ナカで店舗展開している立ち食いそばのチェーン店である。当初は3店舗くらいしかなかったが、今調べてみたら9店舗くらいに増えているみたいだ。
JR東日本の駅ナカで展開している立ち食いそばチェーン店は他にもあって、例えば「いろり庵きらく」なんてチェーン店もよく、見かける。ただ内装そしてメニューについて、そばいちは特色がある。内装は女性にも受けそうな小綺麗な感じだし(実際女性のひとり客も多いと思う)、そばも平成以降、手打ちそばブームあたりから増えた新規の単独店風な、立ち食いそば屋にしては上等な味がする。
レジ前のトレイには作り置きの揚げ物が置かれている。だが何故か、かき揚げを頼んだ際に、ここに置かれたものが使われるのは過去一度しか見た事が無い。だいたいは注文してからの揚げたてを載せてくれる。よほど混み合ったときのスペアなのか。謎である。
私が愛聴するザ・コレクターズのポッドキャスト「池袋交差点24時」で、古市コータロー氏が推している立ち食いそば屋がある。曰く「昭和46年と変わらない味がする」「今、都内で唯一つゆを飲み干す店。唇が離れてくれないんだもん」。こういう路線を求める向きには、そばいちは全く向かない。完全なる平成っ子である。が、恋に落ちてしまった私は、今やそばは、そばいち以外では殆ど食べない。
思えば出会いが強烈であった。初めて店を訪れた2014年の6月15日。そばいちでは1年を通してだいたい季節ごとの限定メニューがある。初めての出会いで食べたのは、当時の限定メニューの「豚肉つけそば」であった。
見た目は単なる肉そばである。しかしそばをつゆに浸し口にしたとき、私は一瞬何が起きたのかわからなかった。
「こ、これは?」
隠し味が何なのかわからず、後日友人の宮氏におすすめ&チェックを依頼した。結果「胡椒ですね」の報告を受け、腑に落ちた。強烈なヌーベルバーグを感じた私は足繁く、通った。そして季節は過ぎ去り、限定メニューは変わった。しかし豚肉つけそばを超える限定メニューは今日に至るまで、無い。
あまりの美味しさに、私は運営会社のホームページを辿り、お客様窓口的なものが無いにも関わらず、会社のメールアドレスを調べ、「豚肉つけそば美味しかったので、またいつか復活してください」とラブコールを送ったが、完全スルーされて、今に至る。
ただ限定メニュー以外の定番品も美味しかった。特に自分が通う店舗の、オープン当初にいた店員ふたり、彼らの茹でたもりそばたるや、絶品中の絶品であった。
そんな彼らも今はもういない。今のバイトさんの作るもりそばは、残念だがあれを超えるものではない。茹で時間なのか、茹でた後の締め方なのか。違いは説明できないが、明らかに違うのだ。
そんなわけで、そばいちと私の関係はさながら、倦怠期の夫婦のようである。私は最初期の思い出が忘れられず、折に触れてそばいちを食べる。だがあの鮮烈な気持ちを再び味わうことは、ない。
人は何故恋に落ちるのだろう。これだけ生きてきても、未だその答えは得られない。
クラスで一番の美女に、誰しも恋をするわけではない。そばいちは確かにどちらか言えば美人タイプ、掃き溜めの鶴である。一方実生活において、私はすごい美人に恋をするタイプか、というと、どちらか言うと違う、と自己認識している。と言ってふと思い出したのは、小4の時に恋した森川さんのことである。当時札幌に住んでいた私は、メガネっ子、という言葉すらなかった時代に、メガネっ子の森川さんに恋をした。しかし森川さんは程なく、東京に引っ越してしまった。それから1年後くらいに、東京からハガキを貰った。手書きの文字とイラストは、すっかり東京で都会っ子になってしまったような雰囲気で、私は気後れしたのか何なのか、返事も出さず、それっきりであった。
まあとにかく、恋に落ちる理由はわからない。恋が醒める理由も、わからない。ただ私は、未だにそばいちに恋をしていて、一途にその想いを確かめに、通い続けるだけなのである。
メニュー情報|そばいち|飲食店|NRE 株式会社日本レストランエンタプライズ
ザ・コレクターズのポッドキャスト「池袋交差点24時」アーカイブ
蕎麦屋の話はシーズン7「#72 いもやでデートの巻」
イカ墨と漁師のはなし
どうもお久しぶりです。
この頃はインスタで、誰も読まないような長文を書くのがマイブーム(死語)だったんだけども、フォロワーも少なくあまりに誰も読まなくて勿体ないし、何よりこのブログ、「サバイブ」をブログ名に名乗っているくせに更新しないと「嗚呼ついに死んだな、サバイブ出来なかったんだな」と思われるのが癪なので、インスタに載せてた長文を改めてここに更新するのである。
今日は、幾多の先駆者、挑戦者があってこそ、今の我々の食生活があるよね、みたいな話。
自分の父親の出身は、北海道の岩内という町で、港町なので近親者には船乗りが多かった。小さいときから親戚のような関係であったまこちゃん(親戚じゃないんだけど、昭和っていうのはそういう謎の関係が沢山あったわな)も、後年船乗りになったが、生の魚は絶対食べないと言っていた。一番イキのいい魚が食べられる最高のポジション、と人は思うに違いないが、何ゆえに食べなかったのか。
船に乗り、魚を獲る。獲れたての魚を捌いて、船上で食らう。魚は超新鮮でイキがいいのは勿論だが、その魚の身に潜む寄生虫のイキの良さも半端なく、それにあたった同僚が、陸にも戻れぬ船の中で何日間も断末魔の思いをする様を見て、食べられなくなったとのことだった。何事も経験してみないとわからんもんである。
さて私は、イカ墨のパスタが大好物である。と思いたい。思いたい、などと歯切れが悪いのは、イカ墨のパスタを食べたことがあるのは、茹でた麺に和えるインスタントのやつと、あとはせいぜいサイゼリヤでしか食べたことがなく、それではまるで、サッポロ一番しか食べたことがない外国人が「ワタシニッポンノラーメンダイコウブツデスネ?」と言っているのと変わらん気がするからであり、イタリア人から見たら笑止千万に違いないからである。しかしイカは悪魔の食べ物という国もあると聞くし、イタリア人がイカを食べるのかすら知らない。知らないことだらけである。ともあれ、イカ墨のパスタと白ワイン、つうのは、トマトソースと赤ワインに勝るとも劣らない、最強コンビですよね。
しかし冒頭の話ではないが、イカを初めて食べた人間も凄いと思うし、イカ墨を食べようなんて思った奴もまた凄い。絶対に罰ゲームだったと思う。割と命懸けの。もしくは、イカを丸ごとガシガシ勢いで食べてたら墨袋を口にしてしまい、口真っ黒になりながら「あわわわわ」とか呻きながら「大丈夫だおれまだ生きてる。しかもナニコレ旨い」ってなったに違いない。全く人間の探求心というのは恐るべしである。
サロモン OUTpathは山でも街でもおすすめの一足。
何でかサロモン一択だった。
山登り始めるのに靴を買おうと思い立って、最初に買ったのはサロモンのSpeedCross3っていう、トレラン(トレイルランニング)シューズでした。
今となっては、なぜそれを最初の一足としたのか、記憶が定かでないのですが、多分知り合いのうっちーに、昔初めて高尾山に連れられて行った際、彼がモントレイルか何かのトレランシューズ履いてて、あ、こんなローカットのスニーカーみたいのでいいんだ、と知ったからなのかな?で、Amazonでトレランシューズ見てたら、サロモンのが安くて人気があるように見えたので、みたいなことだったような。
でもその直感は大正解で、殆ど不満もなく2年ほど履いたわけです。山はだいたい日帰りでザックも10リットルのトレラン用に入るモノしか持たなかったので、ハイカットのブーツとか履く必要もなく、軽快この上ない。しかしこの頃は、結構底が減ってしまって滑るようになってきまして。
OUTpathに一目惚れ
で、先日、新しいのを買おうと思い立ち、サロモンのシューズをチェックした際に見つけたのがこちら。
いちおうこれを見つける前に、次買うならこれかなー、と目星をつけてたのはこっちでした。
サロモンのこの辺の山用ローカットシューズはだいたい、基本的な造りは一緒なんです。大きく異なるのはソール。
トレラン用はアップダウンのある山を「走る」ことを想定しているので、クッション製が少し高めにチューニングされてる。要はソールが少し柔らかいのです。多分それとのトレードオフで、トレラン用のソールは減りが早いのではないかな、と個人的に分析してみたり。
対してXA PROは登山用、OUTpathはハイキング用、みたいな位置づけのようです。
2年前にシューズを選んだときにはXA PROやSpeedCrossの、決して普段選ばないようなスポーティなデザインも個人的に新鮮でよかったのですが、OUTpath見ちゃったらもうとにかく、色が気に入っちゃって。
ショップで試し履き
OUTpathは、甲が低めという話をネットのレビューで見かけたので、これは試し履きしなくては危険、と、サロモンのショップに行って、上の2つを履き比べてみました。もともと履いていたSpeedCrossと合わせて3種類、ソールの柔らかさを私的に比較してみるとやはり、XA PRO < OUTpath < SpeedCrossの順。XA PROは特に、接地面もしっかりしていて、減りが遅そうだなあと感じました。私見ですけど。
言われていた甲の高さについては、もともとSpeedCrossからして普段のサイズより少し大きめを履いていたので、それと同じサイズで大丈夫でした。普段履きのサイズだと確かに入らないですね。
そしてサロモンのシューズを一度履くとやめられないのはクイックレース。靴紐代わりのレースをキュッと引っ張って止め、靴のベロにしまう方式。これがホント手軽で、フィット感も高くてよいです。
実際履いてみて。
で先日、実際OUTpath履いて、高水三山に行ってきました。途中凍ってる道もありましたが、割としっかりグリップしてくれて安心して歩けました。ただ、やはり、より疲れない、ということでは、衝撃吸収性に優れたSpeedCrossに軍配があがるかなー。まだ履き始めだから何とも言えませんが。
とはいえOUTpathは今、世界で一番格好良い靴だと思うので(私見です)山は勿論、普段も履きたいと思ってます。
2017秋冬のコロンビアは今までとはなんか違う気がした話。
お久しぶりです。
さて。コロンビアというアウトドアブランドがございます。
自分におけるコロンビアの評価は「おっさんくさい(いやおっさんに言われたくないと思うけどさ)」「ヘタしたらモンベルよりダサい」「だいたい安い」とまあ、こんな感じで、アウトドアショップに行ってもほぼ、売り場スルーしてたんですよ。
ところが先日、いい感じのレインジャケット探してるときにこの秋冬の新製品群が目に入りまして、あれ。なんか垢抜けてね?と。
たまたま自分の感覚か世の中的にかはわからないけども、ちょっとレトロな感じがいいなあという感覚に、しっくりくる感じのものが多い。
実際、リアル店舗に行って製品見てビックリしたし、秋冬のカタログもらって眺めると、とにかく、いい感じ。
DOCTOR DENIM HONZAWAこと本澤祐治氏とのコラボ、COLUMBIA BLUE PROJECTをはじめ、他の製品もいい感じにカジュアルなアウトドアテイストにまとまってる。
上のパンツなんかはポリエステルとコットンの混紡で、グラミチみたいに股下がガゼットクロッチなんだけど、履いたときのラインが、オンライストアの商品ページで見れるのだけども、なかなか格好良い。
他のブランドがとにかく機能、機能で攻めてくる中、値段と機能とファッション製のバランスがよくて、素晴らしいと思います。
例えばコロンビアのレインジャケットは「ゴアテックス」じゃなくて「オムニテック」という生地を採用してるのですけど、ゴアのジャケットより1万円近くお安いのですよね。勿論、値段なりの性能の違いはあるのかも知れないけど、こちとら3,000m級の山に登るわけでもないわけで。
勿論、山ではいつどんな天候にあたるかわからないのは、僕も北海道の樽前山に行った際に、途中で物凄い豪雨にやられて、手持ちのユニクロのポケッタブルパーカーは「撥水」という言葉を口にし終わる間もなく一瞬で浸水、どえらい目に遭った経験もありますし、適材適所ではあります。何でもいいわけではない。ただ街で着ることを考えたら、ゴアとかオーバースペック過ぎる。コスパ悪い。個人的にゴアで手を出せる値段なのはモンベルのストームクルーザーくらいですし。
外国人って、ハイキングのときとか、すげえ適当な格好してるじゃないですか。ネルシャツにチノパンとか。あのフィーリングが好きなのですよ、自分。でも、休日山に行くと、低山でもなんか物凄いスポーティだしブルジョワチックだしで、ちょい好みでないのですよね。
なんだけども、はじめて山に登ったとき、僕は真夏にフツーのジーンズで登ったのだけど、あれはホントに気持ち悪い。何でもいいわけではないんですよね。
ちょっとそのあたり、最低限のスペックをクリアしつつ、いい感じにカジュアルっていう、コロンビアがなんかそういう素敵な感じになってる気がします。個人的な感覚ですけど20年くらい前のパタゴニアにあった(そして今はなくなった)フィーリングっぽい気がします。
僕みたいに「おっさんくさいブランド」ってまだ思ってる人がいたら、是非再チェックをば。